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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の、「大奥編」突入後の、ざっくりした感想。

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が「長州藩・大奥編」に突入し、長州藩の第14代(最後の)藩主・毛利元徳(もとのり)が登場してますね。

この元徳の母が、都美(とみ)姫。
(母と言っても、元徳は養子なので、血のつながりはないですが。)

都美姫を演じているのは、松坂慶子。

で。
長州藩の藩祖は、毛利輝元。
その祖父が、あの有名な毛利元就であるわけですが。

元就は5歳で母と死別し、10歳で父と死別しました。
その後、家臣によって城を追い出されてしまい、毛利家の当主になるまで、かなり辛酸を舐めた時期もあったわけですが。

その間、元就の面倒を見てくれたのが、父・弘元(ひろもと)の側室だった「杉大方(すぎのおおかた)」とか「椙の方(すぎのかた)」とか「杉の方(すぎのかた)」呼ばれた女性だったそうで。

で。
1997年のNHK大河ドラマ「毛利元就」で、杉の方を演じたのが、やっぱり松坂慶子だったんですよね(笑)。
キャスティングの妙味ですねえ(笑)。

ちなみにこの杉の方は、朝日を拝む念仏信仰の信者で、元就もその影響を強く受けたそうです。
「戦国BASARA」の毛利元就(CV:中原茂)は、自らを「日輪の子」と称していますが、あれも元をただせば、杉の方が、元就(実在の)に教えたものの一つだったわけですね(笑)。

(実在の)元就は、「大方様は大変立派な女性だった。今の自分があるのは大方様のおかげだ」というようなことを書き残しているそうなので、実在であれ「BASARA」のほうであれ、「元就ファン」のお方は、「大方様」のことを、頭の隅に留めておいたほうがいいかも知れません(笑)。

++++++++++++++++++++++++++++++
元就の生母は「福原広俊の娘」としか正式な記録は残っていないそうですが、ドラマの中では「祥(さち)の方」という名前になっていました。
これは、残っている戒名から1字取ってつけられた名前だったそうで(笑)。

そして、元就の兄である興元(おきもと)の正室の名前は、「雪(ゆき)の方」になってましたが。
これは、演じた一路真輝が、宝塚の「雪組」出身だったことにちなんだとか(笑)。
名前を考える人も、大変ですねえ(笑)。

++++++++++++++++++++++++++++++
そしてそして、私も今回調べるまで忘れてたんですが。
この興元を演じたのは、渡部篤郎だったんですね。
渡部篤郎は2001年の大河ドラマ「北条時宗」では、時宗の異母兄・時輔(ときすけ)を演じてました。

毛利興元は「正室の産んだ長男(つまり嫡男)だったのに、今で言うアルコール依存症になってしまい、体を壊して、若くして死んでしまった」という人物。
北条時輔は、「長男ではあったが、側室の産んだ男児だったため、それなりの能力はあったはずなのに当主にはなれず、嫡男である異母弟によって、若くして謀殺された」という人物。
何だか、「不遇な、悲劇の兄」というところが似てますねえ。

(※「北条時宗」の時輔は、「謀殺されたと見せかけて実は生きていて、最終的に時宗と和解した」という、大胆な設定になっていましたが。)

++++++++++++++++++++++++++++++
何だか、「花燃ゆ」の話じゃなく「毛利元就」「北条時宗」の話になってしまいましたが。
「元就」も「時宗」も、けっこう思い入れのあるドラマだったので、思い出すことも多いのです。

また「時宗」の話ですが。
史実では、

「時宗の父・時頼(ときより)は、最初、毛利季光(もうり・すえみつ)の娘を妻に迎えたが、離別した。
その後、北条重時(しげとき)の娘を娶り、時宗が生まれた」

ということになってますね。

ちなみに、時宗の母の名前は例によってよくわかってないようなのですが、真面目なエッセイなんかじゃ「葛西殿(かさいどの)」と呼ばれることが多いようです。

一方、大河ドラマじゃ

「毛利季光の娘が、北条重時の養女になり、時頼に嫁し、時宗を産んだ」

という設定に変えられてましたね。

ちなみに、ドラマのほうじゃ、時宗の母の名前は「涼子(あきらこ)」。
演じたのは浅野温子でした。

で。
毛利季光も、「毛利」というからには、長州藩の毛利氏にも、何かしら関係があるんでしょうね。
季光の父の名前は「大江広元(おおえの・ひろもと)」ですが、子孫を称する人々の名前には「広」「元」の字が入っていることが多いそうです……元就の父の名前が「弘元」ですよ。
「元」の字が入ってますし、読みなんか、まんま「ひろもと」です。

うーん、そう考えると、「毛利元就」「北条時宗」「花燃ゆ」にも、つながるポイントがいろいろあるのかも。

++++++++++++++++++++++++++++++
「重時の娘が、時頼に嫁入りした」ということはわかったんですが、もともと重時と時頼はどういう関係だったのか?
叔父・甥?
従兄弟同士?
と思って、調べたら……。

「重時の兄(泰時)の孫が、時頼」なんだそうで。
うおー、複雑だ(汗)。

ということは……。
「重時の娘が、時頼に嫁入りした」ということは、その娘の立場からしたら、「伯父さん(父の兄)の孫に嫁入りした」ということか(汗)。
いわゆる「いとこおば・いとこ甥の結婚」ですね。

んー、平安時代の「綏子内親王が、陽成院に嫁した」みたいなもんか。
綏子内親王にとって陽成院は、父(光孝天皇)の兄(文徳天皇)の孫だから。

昔の天皇や武将は子だくさんな人物が多かったため、「伯父(又は叔父)・姪の結婚」「伯母(又は叔母)・甥の結婚」「いとこおじ・いとこ姪の結婚」「いとこおば・いとこ甥の結婚」でも、年の差ってそんなになかったことも多いんですよね。

時頼と葛西殿も、葛西殿が6歳くらい年下だった(らしい)という、けっこう「お似合いの年の差」だし。


そして。
これはフィクションの話ですが、「源氏物語」のエピソードも書こうと思ったんですが……この記事が終わりそうにない気がしてきたので、また別の記事にて書こうと思います(汗)。


(「花燃ゆ」の話は彼方へ消え失せた(汗)。)
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