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「魂の限界」とか、「お祈り返し」とか。

小保方晴子氏、退職ですってね。
今後は、退職願に

「魂の限界です」

と書く若者が増えたりして。

離職票にまで「魂の限界」と書いたりして。(いやそれは流石にいないか)

まあ、退職に当たって「魂の限界」と書きたくなるような職場も実際ありますから、そう書きたくなること自体を非難はしませんが。


ところで、話は変わって……いや、ちょっとだけつながってますが。

今の日本で、日常的にいちばん「祈り」に時間を割いているのは、どういう人でしょうか?

お坊さん?
神主さん?
神父さん?
牧師さん?

どれも外れ。
答えは、「企業の人事部の、採用担当の人」

いや、人事部の人も、応募者に送った「お祈りしております」という文面の通り、全身全霊かけてまで祈っているわけないんですけどね(汗)。
前にも書いたけど、宗教界の人たちは、「祈り」という言葉がここまで便利に「記号」「業界用語」みたいに使われ、濫用されていることに、ちょっとは苦言を呈したほうがいいと思うぞ。

そんで、「お祈りしております」という、このフレーズですが。

本当に起きたことなのかは知りませんが、内定をくれた企業に対して、その内定を辞退するに当たって、“お祈り返し”をした若者がいたそうで(汗)。
応募して内定をもらった若者が、「企業が、採用試験に落とした応募者にメールや文書で送る “お祈り通知”の文面」を逆転させて、内定辞退の文面を作り、企業に送りつけた……ということが、あったとかなかったとか。

その内定辞退の文面は、“お祈り通知”の発信側・受け手側を機械的に置き換えただけのものなので、一見、無味乾燥な、定型化した文面なんですが……「あー、これ、“お祈り通知”の矢印が逆転したバージョンか」と気づいて読み返すと、人事の人には申し訳ないが、ちょっと笑っちゃったりも、した。


その後、弁護士さんが「これは道義的にも法的にも、問題ですよ(怒)」と指摘する記事もネットには上がってきたりして、この“お祈り返し”問題も、まあ、落ち着くところに落ち着いたのかも知れませんが。

私は、問題点を指摘した弁護士さんほどの怒りは、正直言って感じなかったんですが(ごめん企業の人事の人たち)……それも、この“お祈り返し”には、笑いつつもちょっとモヤモヤしたものを感じはした。

それは「内定辞退した側は、相手の企業に対して『やられた相手にやり返した』つもりだが、実はそうじゃない」から……だろうな。

例えば。
A社から“お祈り”され、B社から“お祈り”され、C社から“お祈り”され、D社から“お祈り”された若者・太郎さんが、落胆と怒りを抱えた状態で、E社とF社から、内定をもらったとしましょう。
で、太郎さんは、E社の内定を辞退して、F社に入ることを決め、E社に“お祈り返し”したとしましょう。

でも。
E社は、太郎さんがA社・B社・C社・D社から落とされたことに対しては、何の責任もない。
仮に、A社・B社・C社・D社の採用担当者がすんごく失礼で非常識な奴だったとして、太郎さんがそれに怒りを覚えるのは当然だとしても、でも、A社・B社・C社・D社の失礼さ・非常識ぶりについては、E社には何の責任もない。

そうだ、この“お祈り返し”が、一見痛快なようでいて最終的に後味が悪いのは、「見当違いな相手に八つ当たりしている」からだ。

若者・太郎さんにしてみれば、「自分VS企業」という構図が頭の中にすっかり出来上がっていて、「一つの企業にやられたことは、他の企業に連帯責任を取らせる」みたいな話になってるのかも知れませんが……いやいや、それは完全な認識違いでしょう。

若者・太郎さんに言わなきゃいけないのは、「見当違いな相手に八つ当たりをするな」ということだ。


――と、まあ、ここまで書いて、また思ったことだけど。

「見当違いな相手に八つ当たりをするな」なんてことを本当に言われるべきなのは、大人の側かも知れないなあ。
パワハラなんて、自分じゃ消化し切れないイライラを、「こいつは俺より弱い。だからどう扱っていい」と思った、イライラのもととは無関係な相手にぶつけてるんだろうし。
つまり、「見当違いな相手に八つ当たりをしている」の最たるものだろうし。

(※もちろん、そうじゃないパワハラがいっぱいあるのも知ってます。
別にイライラしてなくても、「自分より弱い相手」が現れると、「パワハラのターゲット」としてしか、接することしかできない……というような、頭と心を完全に病んでしまったなれの果て、みたいなパワハラ人間も、たくさん見てきました。
この私自身がターゲットにされたことも数知れず、だし。)

とにかく。
年下の相手や目下の相手が、道義的・法的に問題ある(又はありそうな)行動を取ったとき(又は取りそうなとき)は、毅然と注意できる大人でいたいものですね。
「お前だって似たようなことさんざんやってるじゃないか!」と逆切れされるようなネタは、できる限りなくしておく、ってことは、大事ですね。

(言うまでもないことですが、「できる限りなくしておく」というのは、「隠蔽する」とか「揉み消す」とか「しらを切り通す」とか「口封じ工作をする」とかいうことではないですよ、念のため(汗)。)

それにしても。
「魂」と「祈り」とか、本来なら、精神世界を連想させる美しい言葉であるはずのものが、不祥事の果ての「魂の限界」だの、見当違いな「お祈り返し」だの、何とまあ世知辛いシチュエーションで使われていることか。
せっかくクリスマスシーズンでもあることですし、1人1人の頭の中、心の中にある「魂」「祈り」という言葉の意味について、考える季節になって欲しいものです。
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