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戦国時代の人気ネーム?「長政」と「松寿丸」。(その1)

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に、「黒田長政」が登場しましたが。
1文字違いで、「山田長政」っていますよね。

そして、この2人より数十歳年長組に、「浅井長政」「浅野長政」ってのもいる。
(この2人の名前も、1文字違い。)

「長政」って、戦国時代に人気の名前だったのか?
で、この4人の「長政」について、ちょっと調べてみました。(生年順に並べました。)

++++++++++++++++++++++++++++++
1.浅井長政(あざい・ながまさ)(1545年~1573年9月26日)

「お市の方の最初の夫」として有名な人物ですね。
率直に言って、「信長の妹が嫁いだ」ということがなければ、ここまで有名にはならなかったような気がゲホゲホ。(私だけですかね(汗))

時代劇ではたいてい、「政略結婚とはいえ、お市とは大変仲が良かった」という描かれ方がされてますが。
別に「生涯、妻はお市1人」ってわけでもなかったんですよね。
お市はいわゆる「後添い」であり、他に側室もおり、小谷城の合戦の後殺されてしまった嫡男(いたんです)の万福丸は、側室が産んだ子だという説が有力だそうです。

当時の武家は「政略結婚」「一夫多妻」が当たり前だったので、「妻は生涯、たった1人だけだった」という事実は、必ずしも「イコールその武将が誠実だった、人柄が素晴らしかった」ということを示すものではないはずなんですよね。
むしろ、
「正室は正室として、側室は側室として、それぞれ相応しい役割と処遇を与える」
「たとえ側室を寵愛していたとしても、正室が卑屈になったり冷淡になったり、側室が威張ったり出しゃばったりすることのないよう、接し方には心を砕く」
ってことのほうが、武将としては大事なことだった。

だから、今放送中の「軍師官兵衛」で、「官兵衛は、妻は生涯、光(てる)1人しか娶らなかった」という事実が「官兵衛は誠実だった、人柄が素晴らしかった」みたいな解釈をされてることには、ちょっとばかり違和感があるんですけどね、正直なところ(汗)。

まあ官兵衛は本当に「生涯、一夫一婦」だったらいしですが、時代劇じゃ、まるで「武将はみんな、今と同様、一夫一婦だった」みたいな描き方がされることが大半ですけどねえ(※秀吉を除く)。
だから、「正室・愛姫」と「側室・猫御前」を同時期に登場させた「独眼竜政宗」は、斬新だったんだ。
あ、そういえば、BSプレミアムで放送中の「独眼竜政宗」では、まさに次回が、猫御前初登場の回ですよ……サブタイトルはズバリ「めごとねこ」。

++++++++++++++++++++++++++++++
2.浅野長政(あさの・ながまさ)(1547年~1611年5月29日(没日は4月6日とも))

大雑把に言うと、「おね(秀吉の正室)の姉(やや)の夫」です。
秀吉とこの浅野長政は、「三国志」でいうと、「孫策と周瑜」に似てますね、「妻同士が姉妹」という意味で。

(孫策の妻は「大喬(だいきょう)」、周瑜の妻は「小喬(しょうきょう)」と呼ばれています。
字を見れば何となくわかりますが、大喬が姉で、小喬が妹です。
2人とも喬家の娘だったらしいんですが、正確な名前がわかっていないので、便宜的にこう呼ばれているようです。
京劇なんかじゃ、それぞれ別の名前が付けられているようですね。

この喬姉妹は揃って、美人の誉れが高く。
また、孫策は「小覇王(しょうはおう)」、周瑜は「美周郎(びしゅうろう)」と呼ばれ、この2人も優れた外見だったらしい。

孫策・周瑜・喬姉妹の生きた呉は、魏・蜀に比べると地味だとか言われがちですが、「孫策・周瑜の友情と主従の絆」「孫策・大喬の夫婦愛」「周瑜・小喬の夫婦愛」「波乱万丈な境遇を生きた喬姉妹の絆」等々、現代にも通じる人間ドラマの美味しい要素は盛りだくさん。

特に、一部の女性にとっては、「容姿端麗で勇猛な孫策と周瑜の、若き日の熱い友情と主従の絆」には、たまらんものがあるらしい(って、何の話だ何の)。

また、孫策は26歳で死んでしまい、大喬との結婚生活は朽木白哉・緋真並みに短かったらしく(@『BLEACH』)、周瑜も享年36歳と、2人とも短命で、そういった悲劇性も、一部の女性がこの孫策・周瑜に心惹かれるポイントであるらしい(ってだから、何の話だ何の)。)

何だか「三国志」のことを書きたくなってきたんですが(笑)、閑話休題、「長政」ネタに戻ります。

「三国志」の場合は、孫策と周瑜は同い年でしたが、「大喬を娶った “兄”の孫策が主君、小喬を娶った“弟”の周瑜が家臣」という位置づけでした……というより、「同い年で、主従」ということが先にわかっていたので、主君の孫策が大喬を娶り、家臣の周瑜が小喬を娶った……といったほうが、より正確か。

しかし日本の戦国時代の場合は、「姉妹のうち、姉のほうのややを娶った“兄”の長政が家臣、妹のほうのおねを娶った“弟”の秀吉が主君」でした。

浅野長政が生きたのは「1547年~1611年」でしたが、秀吉が生きたのは「1537年~1598年」だったので、“弟”の秀吉のほうが10歳年長です。
なので「兄弟」として見るとちょっと不自然ですが……「主従」として見るなら、まあそれほど不自然ではないのか。

何でこんな「逆転現象」が起きたのかというと……一説によれば、「秀吉・おねが、かなりの年の差夫婦だったから」

時代劇じゃ、秀吉・おねは、「だいたい同世代の男女1組の役者を使って、そこそこ年の釣り合った夫婦を演じさせる」ってことで描かれることが多いですが。
史実の秀吉・おねは、親子ほど年の離れた夫婦だった……という説も、けっこう有力だそうで。

ただそれだと、子役みたいな女の子におねを演じさせなくてはならなくなり、絵ヅラ的にいろいろ不都合なので、演出上の都合として、「秀吉・おねは、そこそこ年の釣り合った夫婦だった」という描き方がされてるようです。


(再び話が逸れますが。
Jリーグ創設当時、鹿島アントラーズで選手として活躍し、のちにサッカー日本代表の監督も務めたジーコ氏と、ブラジル代表監督、イラク代表監督、鹿島アントラーズ監督、日本代表テクニカルアドバイザー等を務めたエドゥー氏は兄弟ですが。(エドゥー氏が兄でジーコ氏が弟。)

エドゥー氏の妻スエリーさんと、ジーコ氏の妻サンドラさんは、実の姉妹なんですよね。
「兄」が「姉」と結婚し、「弟」が「妹」と結婚したわけです。
しかも、「ジーコ&サンドラ」が初めて出会ったのは、2人ともまだ10代前半の時だったというから驚き。

昔の日本の農村なんかでも、コミュニティが小さくてかつ濃密だとこういうことはけっこうあったそうですが、ジーコ氏やエドゥー氏のような、あれだけの大物有名人の中でも、そういうことってあるんですね……いや、あれほどの大物有名人になると、やっぱりコミュニティって狭いのかな?)


再度、閑話休題(汗)。
そして浅野長政は、まさにこの「浅野長政」という名前で知られている人物ですが。
Wikiによれば、「長政は晩年の改名で、初名の長吉(ながよし)を名乗っていた時期が長い」んだそうです。
そうですよね、「浅井長政」と「浅野長政」は2歳しか変わらないのに、同世代でそんな似た名前を名乗るはずがないな。

++++++++++++++++++++++++++++++
4人中まだ2人しか取り上げてないですが(汗)、このあたりでいったん区切ります。
(「三国志」のこととか、ジーコのこととか、関係ないこと書き過ぎた(汗)。)

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戦国時代の人気ネーム?「長政」と「松寿丸」。(その2)進む
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