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「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展に行ってきました。(その1)

3月上旬、横浜美術館で開催されていた

「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」

展に行ってきました!

チラシはこれ↓。
キャパ&タロー写真展のチラシ。
(※写真クリックで少し大きくなります。)

↓横浜美術館は初めてだったんですが、周辺の雰囲気は、なかなか開放的でした。
2013年春・横浜美術館・その1。
(※写真クリックで少し大きくなります。)
「美術館」というと、今までは何となく「山の近く」「森の中」みたいなイメージがあったんですが、こんなに海に近い美術館も、あるにはあるんだな(そりゃそうか)。

↓「風力発電」みたいなオブジェ(?)が、館外に展示されてました。
2013年春・横浜美術館・その2。
(※写真クリックで少し大きくなります。)


さて、私は「ロバート・キャパ」という報道写真家の名前は、さすがに知ってましたが。

しかし、「ロバート・キャパという名前の男性がいて、その人が報道写真家になった」ということではなかったそうで。

1913年生まれの、アンドレ・フリードマンという、ハンガリー生まれのユダヤ人男性がいて。
1910年生まれの、ゲルダ・ポホリレという、ドイツ生まれの、ユダヤ系ポーランド人女性がいて。

この2人が出会い、恋に落ち、そして2人で組んで写真の仕事をすることにし。
2人で、「裕福なアメリカ人で、既にたくさんの業績を残している報道写真家」として「ロバート・キャパ」という架空の人物を作り上げ。
アンドレが写真の撮影をし、ゲルダがその写真を売り込む営業を担当する、と決めたらしい。

しかしそのうち、アンドレは自分自身の名前として「ロバート・キャパ」を名乗るようになり、かたやゲルダは、「ゲルダ・タロー」と名乗って、自分で撮った写真を発表するようになっていったんだそうです。
ゲルダもれっきとした報道写真家、それも、「戦場カメラマン」だったんですね。

(ちなみに「タロー」とは、アンドレと親交のあった「岡本太郎」にちなんだそうだ……ってそれ、「苗字」じゃなくて「名前」だぞ、良かったのかゲルダ(汗)。)

ゲルダは、アンドレと離れてスペインの戦場を取材中に、戦車の事故に巻き込まれ、26歳の若さで死去します。

会場の説明文にもあったんですが、ゲルダの死は当初は、政治的な意図も働いて大々的に伝えられたものの、そのうち、報道写真家としての業績はだんだん取り上げられなくなり、「キャパの恋人」「キャパ最愛の女性」という面ばかりがクローズアップされるようになっていってしまったんだそうで。

このあたり、マリー・キュリーのことを、「最大の業績は、ラジウムやポロニウムの発見ではなく、ノーベル賞を2度受けたことでもなく、最愛の夫の死という悲しみを乗り越えたことだ」みたいに描いていた、昭和の偉人伝のノリに通じるものがあるなあ。
夫の死を乗り越えることがそんなにすごいことなら、今までこの世に存在した全女性の半分くらいは「偉人」になっちゃうんじゃないのか(笑)。

えー、マリー・キュリーについて書き出すとキリがなくなるので、それはまた書くなら別記事で書くとして。


以下、印象に残ったことを数点。

1.「戦争のため難民となった人々」の写真

これは……言うまでもないかも知れませんが……原発暴走が原因で避難を余儀なくされた福島の人々を連想しないわけにはいきませんでしたよ。

ただ、福島の人たちにもいろんな思いがある。
「これはもう避難なんてもんじゃない、集団疎開とか、追放とかだ。自分たちは避難者なんかじゃない、難民だ」
と言う人もいれば、
「自分たちは自分たちの選択の結果、避難し、そこに移住したんだ。難民扱いするな」
と言う人もいる。

被災しなかった者は、自分の好き勝手なイメージで、被災者を語っちゃなりませんよね……あーそうそう、この「被災者」って言葉も、慎重に使ったほうがいい言葉だしな。
2年前の3月の時点では紛れもなく「被災者」だった人たちの中にも、その後、
「『被災者』とか『被災地』とか『支援』という言葉はもう聞きたくない」
「いつまでも自分たちのことを、被災者を見る目ばかりで見ないでくれ」
というような意味のことを言うようになった人もたくさんいるそうなので、その気持ちは尊重しなくてはいけない、と思う。


2.「パリ解放の後、それまでドイツの将校と親密にしていたフランス人女性が、同胞のはずのフランス人たちによって、頭を丸刈りにされた」という写真

この様子はずっと前、写真じゃなく、テレビで、動画で観た記憶があります。
1人の女性を大勢で押さえ込んでその髪をバリカンで刈る男女らの、うきうきとした楽しげな様子と、たった1人で押さえ込まれてされるがままになっている側の女性の、放心しているような空ろな表情の対比に、ぞっとなった覚えがあります。

「相手の意思に反して、その髪を切る」ってのは、たとえ身体的苦痛は与えていなくても、「暴力」なんですよね……それも、「身体的暴力」と「精神的暴力」の両方の。

昔の学校じゃ信じられないことに、教師が鋏を持って、女子生徒の前髪を切ったりしてたし、男子生徒なんて、丸刈りであることが「入学の条件」「制服の一部」みたいになってました。
今でも、家庭によっては、思春期の娘がおしゃれに興味を持つことを異様に嫌がる母親が、その娘の髪をざんばらに切ったりしてますしね。

どの例も、髪を切られた側の体から血が出たわけでもないし、傷が残ったわけでもない……当然ですけどね、切られたのはあくまで「髪」だけだから。
でも、「見た目の変化」のインパクトはすごい。
だから、「相手を服従させたい」とか「気に入らない相手に罰を与えたい」と思っている側にとっては、「相手の意思に反して、その髪を切る」ってのは、罪悪感は感じることなく歪んだ達成感は感じられる、手軽な方法なんですよね。

「パリ解放の後、それまでドイツの将校と親密にしていたフランス人女性が、同胞のはずのフランス人たちによって、頭を丸刈りにされた」というあの写真からは、「飢え死にしてでもフランスの女性としてミサオを守るのが当然なのに、お前は敵であるドイツ人の男なんかに媚びやがって、絶対許さない」という、向くべき方向を間違えた激しくも暗い怒りや憎しみが伝わってきた。

そして、時代や状況がどんなに変わっても、「ミサオを守り切ろうとせず、敵の男たちに媚びてまで生き延びようとするような女は、厳しく罰されて当然だ」という冷たい視線の中で、女は生きなきゃならないもんなのか、今はたまたまそういう状況じゃないだけで……と、暗澹たる気持ちになったのでした。


3.キャパ来日時の写真

キャパは日本にも来たことがあって、静岡の焼津で、第五福竜丸を撮ったこともあったそうで!

その第五福竜丸の写真は残念ながら展示されてなかったんですが、思わぬところでつながりを発見したような気がして、ちょっと嬉しかったです。

(※ アメリカの画家ベン・シャーンが、第五福竜丸(マーシャル諸島ビキニ環礁で、核実験によって被曝した)を題材にして描いた連作が、福島県立美術館に展示されている。)


長くなりそうなので、いったん区切ります。

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