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ココロとアタマに残るうた。~冬の皺よせゐる海よ~

冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか

(ふゆのしわ よせいるうみよ いますこし いきておのれの むざんをみんか)



掲出歌の作者は、中城ふみ子(なかじょう・ふみこ)という女性歌人です。
北海道帯広市出身で、1922年(大正11年)生まれ、1954年(昭和29年)死去。

歌の大意は……「冬の皺よせゐる海よ」はそのまま、訳す必要はないでしょう。
3句以降は、「私はもう少し生きて、自分のこのむごい人生を見届けるとするか」というようなものでしょうか。

この歌は、ふみ子が、小樽に住む妹夫婦のところから、乳がんの治療のため札幌の病院へ向かうその途中、汽車の窓から見えた張碓(はりうす)海岸のことを詠んだ歌だと言われているそうです。

冬の海というのは、それだけで、寒々しい、寂しい感じのするものですが、ふみ子は、自分の命がもう長くはないであろうという気持ちを、ポジティブな印象は感じにくい「皺」という単語を含んだ、「冬の皺よせゐる海」という言い方で表したのでしょうか。

実際ふみ子は、この歌を詠んだ約8ヵ月後に亡くなっています。



さて、私が最近この歌を思い出したのは――あ、「最近」ではないかも知れませんが――2011年の3月下旬頃です。

2011年の3月は、まだ全国的に、けっこう寒かったんですよね。
そして、思い出した「海」というのは、小樽の海ではなく、福島の海……福島第一原発のすぐそばの海です。

2011年の3月下旬頃、どうしてこの歌を思い出したのかと言いますと。

巨大地震の後、東電が「福島第一原発を廃炉にすることを検討する」と発表したのが、確かこの時期だったんですよね。
もちろん、これより前、冷却のために海水を注入した時点で、ほんのちょっとでも原発に詳しい人なら「ああ、もう廃炉だな」と思ったと思うんですが、東電はその時点では「廃炉」という言葉は使っていなかったのです。

だから、東電が「廃炉を検討する」と発表した時は、「当然だ」と私は思ったものですが……しかし、それでもショックだったのは、「廃炉には、40年かそれ以上かかる」という見通し。

この私は、生きて見届けることができるのか?
少々……かなり怪しい。

その時、この「今少し生きて己れの無惨を見むか」という言葉が含まれる、この掲出歌を思い出したのでした。



そしてその後、この掲出歌が、意味を変えて迫ってくるようになりまして。

海の寿命は、人間の寿命に比べれば、そりゃ比べ物にならないほど長いものでしょうから……福島の海に対して、

「あと40年生きるかどうか怪しい人間の私でさえ『今少し生きて己れの無惨を見むか』と思ってるんですから、あの津波を引き起こしたあなたも――私より明らかに長く生き残るであろうあなたも、あの津波の結果もたらされたことを――あなたの成した無惨の行く末を、見届けてくれませんか。

福島の海よ、あなたも、『今少し生きて己れの無惨を見むか』と思ってくれませんか」

とでもいうような気持ちが湧くようになりました。

これ、文法的には明らかにおかしい解釈なんですけどね、でも、「今少し生きて己れの無惨を見むか」という言葉そのものが持つ力が、余りにも強くて。

もちろん、海の側には、何の落ち度も責任もないんですけどね、それはわかってます。
大地震が起きれば津波が起きるのは当たり前。
2011年3月11日は、津波のその先に、原発があっただけのこと。
海に、人間に対する悪意や害意があったわけがない。

だけど、福島に限らず、長いこと海に近い地に住んでいた者、その地に親しんできた者にしてみれば、「当たり前」「あっただけのこと」などとは到底思えないのも、これまた「当たり前」。
あの津波の後、それまで海の仕事をしていたお方たちの中でさえ、「もう海の見えるところには住みたくない、もう海なんて見たくない」という理由で、内陸へ移ってしまったお方もいるというし。

一方で「津波のせいでどんなにつらい思いをしても、自分は海から離れない。これからも海と生きていく」と決意したお方たちもたくさんいるとのことですが、そういうお方たちの中には、「もう海なんて見たくない」と言うお方たちを気遣って、「自分は受けたダメージが軽いから、こんな風に思えるんだろうか」と、罪悪感に駆られたりしているお方もいるそうで。

そんな風に分断されてしまったお方たちのことを思う時も、これもやっぱり、海のもたらした「無惨」の結果なのでは、などと、思ってしまうわけです。

ただ、海、地震、津波という自然が引き起こす「無惨」そのものに対しては、人間は無力かも知れませんが。
津波が引いた後に、人の心の中に発生する「無惨」には、無力ではないはず、と思いたい。

原発の廃炉まで、たとえ40年以上かかったとしても。

そして、福島で津波のもたらした「無惨」と戦っているお方たちには……とりわけ「首都圏に住んでいて、原発の恩恵は受けていたが、津波の被害は受けなかった」というお方たちに、力になってもらえれば、と、切に切に思う。
これは、客観的に条件に当てはまっても、そういう自覚のある人にしかできないことですから、どれくらいのお方が手を上げてくださるか、甚だ心許ないことではありますが。


3月中旬の福島は、まだまだ寒く、季節は「冬」のうちです。
前述の通り、あの年の3月は、特にそうでした。

その3月の、「津波を引き起こした、冬の海」が「穏やかな春の海」「眩しい夏の海」へと表情を変えるのを見るにつけ、

冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか

という、掲出歌を思い出していたのでした。

「無惨」を忘れないために……「無惨」「無惨」のまま放っておくことがないよう、自戒の意味も込めて。

++++++++++++++++++++++++++++++
一応「自戒」の意味を込めた記事の終わりに、こんなことを書くのは、本当は相応しくないのかも知れませんが。

安倍総理が、総理就任早々に、福島第一原発を訪れてくれたのはいいんですけどね。
でも、そこで発された

「政府は、廃炉作業を全面支援します!」

というあの力強い言葉には、どーにもこーにも違和感を禁じ得なかった(汗)……まるで、

「もう首都圏のために原発を稼動できなくなったという意味では、政府は福島を、全力で見捨てます!」
「廃炉が完了した暁には、政府は、福島のことは、全力で忘れ去ります!」


と力強く宣言されているような気がしたんですけどね(汗)……いや、こっちが歪んだ耳で聞いているという自覚くらいはありますよさすがに。

でも、こんな風に感じたのが私1人とは思えないんですけどね(汗)……どうなんでしょうかそのあたり。
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