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NHK大河ドラマ「平清盛」の最終回あたりの(ざっくりした)感想。

「源平もの」といえば今までは、「頼朝や義経の視点で描いたもの」ばかり観てきたから、「清盛の視点で描き、締め括るって、どうやるんだろう」と思ってたんですが……。

なるほど、「西行を、イタコとして使う」という手法を使いましたか!

清盛が一族の前で、徳子を「天晴れな娘じゃ」と称えたシーンは、ちょっと涙が出た。
実際には、天皇の后となりまた次期天皇の母となった女性の中で、その後徳子ほど凄絶でつらい経験をした女性っていなかったと思うんですが、でも、このドラマの中の徳子は、父の清盛のあの言葉を支えに、生きていけたかも知れない。

清盛が時子に、「源氏物語」に事寄せて、最後に何か言う……ってことはやるだろうなと思ってたけど、それは「そなたこそが、わしの紫の上じゃ」という言葉でしたね。
「源氏物語」の中の紫の上が幸せな女性だったかどうかはおくとして、このドラマの中の時子にとっては、あの言葉が最高の褒め言葉だったのは間違いないだろう。

まあ実際には、ああいうこと(自分の死後、自分の親しかった相手にイタコ役をやってもらう)はできないわけだから、生きているうちに、対面にしてもメールでも手紙でも、お礼や感謝の念を言うべき相手にはきちんと言う……ってことは心がけたほうがいいかも知れませんね。

++++++++++++++++++++++++++++++
「壇ノ浦で死に切れず、その後出家した徳子のもとを、後日、後白河上皇が訪れる」というエピソードは、描かれませんでしたね。

後白河上皇にとって徳子というのは、どういう存在だったのか……「清盛の娘」という意味では憎かったかも知れないが、「自分の息子の后」「自分の孫の母」そして「自分がかつて寵愛した、今は亡き滋子の姪」という意味では、哀れでもあったのかな。
それこそ「藤壺と紫の上」と同じで、「滋子と徳子」は「叔母と姪」だったわけだから、面差しがちょっと似ていたりもしたかも知れないし。

(ふと思ったんですが、もし「源氏物語」で、桐壺院より藤壺が先に死んでたりしたら、桐壺院はまだ幼い紫の上を召し出して仕えさせたりしたんだろうか、ひええ(汗)。

そんで源氏は、帝の后である紫の上が宿下がりしたところを狙って忍び込み、事に及び、紫の上はその結果の子供を産んだりしてたんだろうか、再度ひええ(汗)。)

++++++++++++++++++++++++++++++
時子が安徳天皇に言った「海の底にも、都はござりましょう」って言葉は、エンディングで叶えられたか……としみじみ思いながら観ていたら、深田恭子as時子のナレーションでズバリ全く同じことが語られて、私はコケかけた(汗)。

でもあのエンディングは良かったぞ。
生の芝居のカーテンコールを観ているような気持ちになった。

++++++++++++++++++++++++++++++
このドラマの感想として、「若い頃はあれだけ熱い理想を持っていた清盛が、どうしてあんな老醜を晒すようになったのか」という感想は、ときどきお見かけするんですが。

このドラマでは、清盛は、「実の父は白河上皇、母は白拍子の舞子」「舞子は、白河上皇の差し金で、赤子の清盛の前で惨殺された」という設定になってますよね。

で。

私なりに(無理やり)解釈した結果、こんな感じになりました。

育ての父母の忠盛・宗子の深い慈愛をもってしても、清盛の、自分の出生の秘密についての苦しみや恨みは長きにわたって消えることはなく、それがやがて「自分以外のすべてのもの、世の中への恨み」と変質していった。
「血縁」「肉親」というものに対しても、愛憎半ばする思いがどんどん増幅し、その狭間にあって、自らも引き裂かれる心地が増していった。

「自分以外のすべてのものが、世の中が憎い」という思いは、「平氏一族を使って世の中を支配する」ということによって凌駕しようとしたが、それは同時に、「暴政の手段として、血縁で結ばれた一族を使う」という意味で、「血縁」「肉親」を貶めることでもあった。

だが、そんなことを続ける先に安らぎはなく、心満たされることもあろうはずがなく、気力も体力も尽き果てる頃、自らの命の終わりも、また一族の運命の果ても、見えようとしていた……。

↑こんなややこしい、屈折した人物像ではなかったですけどね、このドラマの清盛は。
ただ、まあ、こんなのもありかな、と思いまして……ね。

++++++++++++++++++++++++++++++
一方、源氏の側の描写ですが。

最終回のエピソードではないですが、大ピンチを乗り越えて帰還した頼朝と、それを迎えた政子が、
「あの時は、尼になる覚悟を決めましたぞ」
「勝手に殺すでないわ」

などと、笑って言うシーンがありましたが……。

のちに政子は、頼朝にも、子供たちにもみんな先立たれた後、本当に尼になるんですよね(涙)。
あのシーンの政子の台詞は、もちろんその史実を意識して書かれたものなんでしょうけど……(涙)。

思えば、平家が滅びそして身内の義経が死んだ後に、次々と降りかかる災いを「平家の呪いなのでは」「義経の崇りなのでは」と思ったのは、頼朝より政子だったかもなあ……自分の産んだ子4人全員が、自分より先に、若くして死んじゃったんだし。

母親としてこれほど悲しい人生もなかっただろうが……でも、「子に先立たれても、悲しい母でいるだけにとどまらず、大きな仕事をやり遂げた」という女性って、いますよね……元明天皇や持統天皇なんかもそうだしなあ。

終わり数ヶ月は、「老いていく清盛と、新興の源氏の人々」の対比が切なかったですが……。
あんなに生き生きしている若々しい源氏も、一族としても、個々人としても、決して「長寿」ではなかったからなあ……と、史実を知っている立場で観ていて、それはそれで、別の意味で切なくなったことでした。

++++++++++++++++++++++++++++++
そうだ、最後に一つ!

最終回の前の回の、「西行が数十年ぶりに堀河と再会し、夜通し歌合わせをした」というあのエピソードって、「源氏物語」の、「源氏と源典侍の再会」と「源氏と朧月夜の再会」を足して2で割りましたよね明らかに!(笑)
「この期に及んで、まだパロディを盛り込むかー!」と、それこそ「天晴れ!」と思ったことでした!(笑)


このドラマ、視聴率が悪かった低かったとさんざん言われましたが。
「源氏物語」は、実在した歴史上の人物たちに本当に読まれ、愛されていたんだろうな……と感じさせてくれたという意味で、稀有な作品だったと思います。
「源氏物語」自体がテレビドラマや映画で映像化されることはときどきありますけど、「源氏物語を読んでいる人々を生き生きと描く」というスタンスって、言われてみると滅多にない気がします。

もう、しばらく、こういう描き方がされているドラマにはお目にかかれないだろうなあ……それが寂しいですねえ。


あと、「私は、源平にはつくづく疎い」ということが身にしみてわかったドラマでもありました(汗)……これを機に、ちょっと勉強しようかな(汗)。
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