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『伊達政宗の手紙』の感想。(その1)~「母親への手紙」編~

筆まめで有名な伊達政宗ですが、その政宗直筆の手紙が、また発見された!と、先週あたりのニュースでやってました。
途中から観たニュースだったので正確なところはわかりませんでしたが、「秀吉との謁見の後」という言葉が聞こえたので、例の「政宗が秀吉に一揆扇動の疑いをかけられ(※まあ本当に扇動したという説もあるらしいけど)、京都に呼びつけられた後」のことかな?


そんで、まさに「伊達政宗の手紙」について書こう書こうと思っていたネタを思い出した!

5月末頃(もう1ヶ月以上前なのか(汗))、NHK教育の「極める!杏の戦国武将学」の最終回を見たら、佐藤憲一(さとう・のりかず)さんというお方が出演なさっていたのです。
「どこかで見たお名前だが」と思いながら数秒見ていたら……これ↓をお書きになったお方でした!

伊達政宗の手紙 (洋泉社MC新書)伊達政宗の手紙 (洋泉社MC新書)
(2010/01/07)
佐藤 憲一

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↑買って以来、何回も読み返してる本だ、道理で覚えがあるはずだ……ってか、すぐ思い出せ私!(汗)

この本の感想も書こう書こうと思いつつ、半年近く経ってしまった(汗)……でも、いい機会なので、今書いてしまおう!
(無駄に長文になったので(汗)、「続きを読む」設定にします。)



このブログでの記事は、
「母親への手紙
「子供たちへの手紙
「家臣たちへの手紙
「衆道関係の手紙(汗)
などに分けて書こうかな、と漠然と考えていたんですが、この「極める!杏の戦国武将学」の最終回でもすごく似たような分け方がされていて、そこで笑ってしまいましたよ!(←本来、笑うような箇所では決してない(汗))


そんなわけで(どんなわけじゃ)、この記事では、政宗から、母親(義姫)への手紙について書くとしよう。


とかく、プロ・アマを問わず、「作家」「エッセイスト」「脚本家」系のお方(つまり「学術研究者」じゃないお方)は

政宗は、子供の頃に疱瘡にかかり、命は取り留めたが容貌が醜くなった。その容貌のせいで、母親の義姫に疎まれていた

義姫は、政宗の弟(小次郎)のほうを溺愛していた

小次郎に家督を継がせようとした義姫により、政宗は毒殺されかけた。命は取り留めたが、この陰謀の幕引きとして(母親を殺すわけにはいかないから)弟を殺した

義姫は、『政宗毒殺の企ては失敗し、小次郎が殺された』と知り、その夜のうちに会津黒川城を抜け出して、兄の最上義光のいる山形城に逃げ込んだ

って説を採ることがほとんどみたいですけど……。

一次資料(この場合は、政宗自筆の手紙)によれば、このいわゆる「政宗毒殺未遂事件」から僅か3年後に、この母子って毒殺しようとした・毒殺されかけた間柄とは思えないような、相手を気遣う手紙を送り合っているんですよね……政宗は朝鮮出兵中に、義姫から、金子の添えられた手紙を受け取って、ものすごく感激した気持ちを手紙に綴り、当時の朝鮮特産品だった美しい綿織物を添えて、義姫に送っているのです。

母親の立場に立ってみれば、幼少時からずっと疎み続け、毒殺までしようとした息子に、手紙(それも、わざわざ金子を添えて)なんて送るか?
しかも、当時の「岩出山(現・宮城県大崎市)から、九州を経由して、朝鮮半島まで」ですよ?

あーそういえば、1997年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」でも、義姫を演じた岩/下/志/麻は、脚本を読んだ当初はこんな不憫な子を母親が疎むなんて信じられない。可哀想でたまらなくて、かえって溺愛するはずだと言っていたそうじゃないですか、そっちの感覚のほうが普通だと思いますよ。

それに、義姫は、『政宗毒殺の企ては失敗し、小次郎が殺された』と知り、その夜のうちに会津黒川城を抜け出して、兄の最上義光のいる山形城に逃げ込んだって説も、別段根拠はなく、不確かなものだそうで。


佐藤氏も、「政宗毒殺未遂事件」については、この本の中では<真相は、いまだ闇の中である。>と書いておられます。
また、番組の中でも、「義姫は、政宗毒殺未遂事件には関わっていなかった」という説を自分は採っている、とお話しでした。

私もその説には賛成……というより、毒殺未遂事件そのものが起きたかどうか、怪しいと思う。
「資料が残っている」とはいっても、それは、
伊達家中きってのスト-リーテラーたちが寄り集まって、後世の者がたやすく信じるようなストーリーを考え抜いた結果、書いたもの
かも知れないんだし……少なくとも、死んだ小次郎があの世から書き送ってきた手紙は見つかってないんだし。


もし政宗は、疱瘡で醜くなった容貌のせいで母親の義姫に疎まれていた……なんて事実はなかった」とか、義姫は、政宗を毒殺しようとなんてしていなかった」とかいうことがはっきりわかれば、今まで世の中に出た政宗に関する小説やエッセイやドラマの脚本は9割方、プロットの段階から書き直しかもな。

あ、もちろん、政宗は、疱瘡で醜くなった容貌のせいで、母親の義姫に疎まれていた」「政宗は、義姫に毒殺されかけたって設定の上で書かれたものの中にも、良いものや私の好きなものもいっぱいあるので、「この設定で書かれたものは、全部却下」ってわけでは、決して決してないですが。



それにしても、何でここまで政宗は、疱瘡で醜くなった容貌のせいで、母親の義姫に疎まれていたって説が定着したんだろう、と思ったんですが……。

「母親が息子を、その容貌で差別した
って点じゃなく、
「女が男を、その容貌で差別した
って点が、従来の男性の書き手の神経を逆撫でしたから、じゃなかろうか。
男が女を容貌で選ぶのは当然だし、許される。だが、その逆は絶対に絶対に許さん(わなわな)
と思っていた男性の書き手たちにとっては、
義姫みたいな、『自分の息子の容貌を嫌った女』なんてのは『男を、その容貌で差別した女』だ、そんな女は『最悪で最低な母親』として描かれて当然だ(わなわな)
としか思えなかったから、じゃあるまいか。

そう思ってみると、小説でもエッセイでも、

義姫は、会津黒川城から逃げ出して以来、数十年もの間、政宗とは全くの音信不通のまま、孤独で寂しい歳月を送った

義姫の兄の最上義光が改易され、居場所をなくした義姫が政宗に再会したのは、義姫がすっかり老いさらばえた惨めな姿に変わり果てた後だった

みたいなことが書かれている文章を読むと、その行間から、何かこう、ルサンチマンめいた、わなわなした感情が立ち上ってくるような気がするんですよね……。

「作家」「エッセイスト」「脚本家」系のお方たちは、政宗毒殺未遂事件の僅か3年後に交わされた、政宗と義姫の手紙をどう捉えているんだろう、完全スルーなんだろうか。
その辺をきっちり盛り込んだフィクションやエッセイを、是非とも鑑賞してみたいもんです……ってああ、また歴史のド素人(←私のことです(汗))が、愚にもつかない小生意気なことをエンエン書いてしまった気がする(汗)。


↓放送は終わっちゃいましたが、テキストは売られているようです……放送のほうも、もう1回やってくれないかなあ……第1回を見逃しちゃったんですよね私(涙)。
NHK極める! 2010年4-5月 (知楽遊学シリーズ/月曜日)NHK極める! 2010年4-5月 (知楽遊学シリーズ/月曜日)
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