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WJ26号『NARUTO』第401話「幻術(まぼろし)」の感想。(その3)

今週の分を読んで、二つめに思ったのは……(「同志」のお方も多いと思いますが(笑))……

イタチって恋人がいたのか!?

ということ。

繰り返しになりますが、こっちの点に食いついた(女性)読者は多いんじゃないでしょうか、っていうか、食いつかなきゃ、(腐)女(子)が廃ります!(←そんなものは廃っていい気もするが(笑))

イタチって、里にいた最後の頃は、確か12歳くらいでしたよね。
その年齢の子供について「恋人」という言葉を使うなんて、マダラもずいぶんとイタチを一人前扱いしてたもんですね……。

その「恋人」とイタチとは、マダラの目から見ても、「恋人」以外に呼びようがないような、ねんごろな仲(古語)だったのか、それとも、「恋人」とはいっても、そこはそれ、気持ちの上で相思相愛であったのは間違いないとはいえ、12歳くらいの男の子に相応しい、清い仲のままだったのか、あー、考え始めると、あー……(何をごちゃごちゃ言っとるか自分(笑))。

これが『NARUTO』じゃなかったら、「忘れた頃に、故人の忘れ形見を名乗る人物が現れて……」とかいう展開にもなり得ると思うのですが、それはないな、この漫画って、そういう系統の後出しジャンケンは今までなかったし……。
それに何より、「12歳そこらで忘れ形見を残す」って、そりゃいくら何でも少年誌の作品として倫理的にまずいだろという気がするし、キャラ的にいっても、あの儚げなイメージのあるイタチには、そんな生命力旺盛な真似をしてもらってちゃ困るし……。

ところで、その恋人とは「清い仲」だったとしても、イタチ自身は生涯「清い身」のままだったんでしょうか、どうなんでしょう、そのあたりのことって何か手がかりありましたっけ、えーとえーと……(だから何をごちゃごちゃ言っとるか自分(笑))。


でもまあ、真面目な話、イタチは、「物心ついた頃からただひたすらストイックに生き、恋を知ることさえもなく生涯を終えた」ってわけではなかったらしい、ってことには、少しほっとしましたよ……。
結果的に悲しい、寂しい人生だったかも知れませんが、イタチはその短い生涯においても、何人かの人々との間で友情や愛情を贈り合ったことは、間違いなかったんですね。
その友情や愛情は、朝が来ないと決められている闇夜のような人生の中で、はるか遠くに輝く星のようだったはず。
イタチはその星たちの光を、自分から消さねばなりませんでしたが、しかし、その中の一等星サスケだけは、ついに守り切ったんですね。

あー、「ER 緊急救命室」の第8シーズンの「空に輝くオリオン」の回を思い出した……私、あの回大好きなんですよ……あっちは「死期を目前にした父が、娘に寄せる愛情」がテーマでしたけど、そっちとの相乗効果で、また泣きそうです……(って、別番組の話ですみません)。


ところで、今週、マダラが口にした「常に木ノ葉隠れを想いながら」という言葉と、自分の妄想キーワード「生涯清い身のまま」で、また思いついたことがあるのですが……(また突拍子もない人物を比喩に引っ張り出しますよ(笑))。

イタチのイメージって、天武天皇の娘たちのうちの1人である、大伯皇女(おおくのひめみこ)のイメージにつながります……(ほら、突拍子もないでしょ? しかも、また女性ですよ(笑))。

大伯について、イタチのイメージにつながったポイントを大急ぎでピックアップしますと……。

大伯は、政(まつりごと)の行われる都を遠く離れた山中で、神に祈りを捧げる巫女(みこ)でした。
そして大伯には、大津皇子(おおつのみこ)という弟がいましたが、この大津は、大伯が都を離れて巫女の役目を務めている間に、皇位継承についての謀反の罪で、処刑されてしまいます。
大伯は、万葉集に6首の和歌を残しているのですが、その6首がすべて、この大津のことを気遣ったり、その死を悼んだりしているものなのです。
(その和歌がまた、弟のことではなくまるで恋人のことを詠んでいるかのような、胸に迫る、切ないものなんだこれが……。)
大伯は都でも屈指の美貌の女性だった、という説もあるのですが、大津の死後、巫女の任を解かれた後も、生涯独身のまま、亡き弟のために祈り続ける人生を送ったそうです……。

ほら、ところどころ、イタチを連想させるような要素がありませんか?
うーん、イタチを、というよりは、大伯と大津の姉弟のイメージが、うちは兄弟のイメージにどこか重なっているのかな……。
『NARUTO』の展開がこうなる前は、『最遊記』のカナン(←漢字が出なかった)と悟能が、大伯と大津に似てるかな、と思ってたんですけどね、『最遊記』のカナンと悟能のほうはちゃんと姉弟だから、うちは兄弟に例えるほどぶっ飛んだ比喩ではなかったと、今になって思う。


(漫画やアニメの中の男の登場人物について、「こいつは、作品中では清い身(ぶっちゃけ未経験)のままだったのか」ってことは、男の読者はけっこう考えることが多い、ってことを、以前何かで読んだことがあるんですよ。
実際、テレビの深夜のバラエティ番組なんかを見ると、そういう話題で男の出演者たちが盛り上がっていることもたまにありますし。
私が以前たまたま見た番組では、「あしたのジョー」や「宇宙戦艦ヤマト」がそういう視点で見られて語られてましたが、なかなか面白かったですよ(笑)。

ただ、この『NARUTO』って作品については、そういう視点で盛り上がるのは、圧倒的に女性読者のほうが多い気がするのですが、どうでしょう……(「どうでしょう」って、他の読者のお方を巻き込みたいだけじゃないのか>私(笑))。)

(アップしようとした直前になって気づいた……イタチは多分、「清い身」ではなかったな。
マダラがこのタイミングで「恋人」なんて言葉を口にしたこと自体、イタチが「清い身」じゃなかったことの仄めかしなんだろう、きっと。
じゃあ「恋人」は、年上決定だ……何で決定かというと(だから何をごちゃごちゃ(以下略)。)


では、「ダンゾウって、全然失脚なんてしてなかったじゃないか!」「イタチって恋人がいたのか!?」以外に思ったことを、「その4」で書きます。
(何だか次の号が出てもこの回の感想を書いていそうな気がしてきた……。)


WJ26号『NARUTO』第401話「幻術(まぼろし)」の感想。(その2)に戻る

WJ26号『NARUTO』第401話「幻術(まぼろし)」の感想。(その4)に進む


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新宿の峯より落つるナイアガラ。

今日(5月28日)は下弦の月でした。
暑かった……で、涼しげな映像を、ここ数ヶ月間に撮った写真からピックアップ。

新宿ナイアガラ。


でも、実際にこの写真を撮ったのは2月だったっけ。
何であんな寒かった時季に、こんな寒そうな場所へ行こうという気を起こしたのか。

あー思い出した、「滝の写真をケータイの待ち受け画面に設定しておくと、金運が上がる」という話を聞いたからだった(笑)。
でも結局、待ち受け画面にはしてません……だって、コンクリートジャングルの中に人工的に作られた滝なんて、ご利益あるのか……(こういう細かいことを言っているから、金運に逃げられるんですよとほほ)。




WJ26号『NARUTO』第401話「幻術(まぼろし)」の感想。(その2)

さて、各論っぽい感想に行くぞ!


今週の分を読んで、まず一つめに思ったのは……

ダンゾウって、全然失脚なんてしてなかったじゃないか!

ということ(って、最初に取り上げるのはそこかよ(笑))。

“木ノ葉崩し”は、作品世界中ではまだわずかに3年前のことですが、ダンゾウって、その“木ノ葉崩し”で三代目が死んだ頃も、イタチ兄さんが脅迫のためにわざわざお運びくださったほどの重要人物だったんじゃないか……。
誰だよダンゾウを「失脚した身」とか何とか言ってた奴は……あー、ヤマトだった気がする(爆)。
ヤマトって、現役暗部の身でありながら、暗部養成部門だった“根”を作ったダンゾウの位置づけをよくわかってなかったんじゃないのか……思えば、今までヤマトの言ってきたことって、けっこうガセネタが多かったので、みんな気をつけるように!(←誰に言ってる)


しかし、“木ノ葉崩し”の直後にイタチ(と鬼鮫)が木ノ葉の里に現れた謎を、かなりきれいに解決&回収してくれたなあ今週は。
今週、いちばんインパクトが強かったのはこの点だった。
イタチ、決して鬼鮫と団子屋デートするためだけに木ノ葉に来たんじゃなかったんだな(そんなことはわかってます)。

あれ、そうなると、イタチ(と鬼鮫)が木ノ葉に来たのって、“暁”からの任務ではなかったってことですよね?
マクロな視点で見れば、あれはむしろ“暁”の意志に反する行動だったはず。
ってことは、イタチは鬼鮫に何て言って丸め込んで、木ノ葉に乗り込んだんだろう。
イタチは当時から、誰に対しても「つべこべ言わずついてくりゃいいんだ! ガタガタぬかすと万華鏡を食らわすぞ!」っていうような、DV亭主みたいな雰囲気ではなかったしな。

もしかしてイタチ、鬼鮫だけには当初から、自分の真の目的のことはそれとなく匂わせていて、「オレも、里を抜けて“暁”に入ったからには、危険に身を晒す覚悟はできている。目的のため、あと数年で命果てたとしても、それは忍の本懐だ」とか何とか、そんなことも言っていたりした?(って、イタチは浜口雄幸かい(笑)。←誰のことかわからないお方は検索してみてください。また私の世代が疑われることになるでしょうガハハ(笑))

あー、わかった、私は「イタチ(と鬼鮫)が短冊街でナルトにわざわざ接触しに来たのは何のためだった」と思ったこともあったんですが……。
イタチは“暁”には、「九尾を抱えた“人柱力”の様子を見てくる」「大蛇丸が何かやらかして三代目が死に、里は混乱しているらしいから、その偵察もしてくる」とか何とか、そんなことを言って、木ノ葉に向かったのかも知れないな。
だから、ナルトのことは探し出してでもいちどは接触する必要があったけど、そのナルトには大した危害を加えていないのに比べて、予想外に現れた相手には、かなりの危害を加えてるんですよね。
カカシには“月読”を食らわせたし、サスケのこともボコボコにしたし。

まあ、イタチが本当にこういう大義名分で“暁”の了承を得て木ノ葉へ向かったんだとしても、肝心の“暁”の黒幕マダラには、全部お見通しだった、ってことになっちゃうんですけどね、今のところは……(溜息)。



ダンゾウといえば、私は前の回の感想で、

<ダンゾウがサイに「サスケ暗殺」を命じたのは、「大蛇丸を暗殺するのはもはや無理だけど、器となる予定のサスケの暗殺なら、まだ間に合うかも知れない」と思ってのことだったのかも。
言ってみりゃ「ダメもと」ですね。
まあサスケも、「ダメもと」で暗殺されちゃたまったもんじゃないですし、だいたい天地橋のあの時点では、サイはサスケに到底敵うはずがなかったんですが。>


などと書いていたのですが、更に2ヶ月前くらいのアニメの感想のほうで、ダンゾウのことを、

<「サスケの里抜けから2年半も待ってないで、里抜け直後にでもサスケを暗殺しようとは何でしなかったのかな」とも思ったのですが、「サスケに接触する任務命令は、いずれ火影である綱手が必ず、表立って下すはずだから、そこへ便乗したほうが都合がいい」と思って、その機会を待っていたのかも知れないしな。>

などとも書いてました。
私、ダンゾウにとってサスケがどういう位置づけだったのかってことを、けっこう気にしていたようです。

ダンゾウから見れば、サスケは僅か6歳そこらで、「うちはの生き残り」という意味で「要注意人物」であり、12歳で大蛇丸に呪印をつけられた時点では更にランクアップして「危険人物」となっていた……つまり、三代目が死んだ時点でサスケは、サスケ本人の意思とは関係のないところで既に、「危険人物」扱いだったんですね。
こんな「危険人物」が里を抜けて大蛇丸のところへ行っちゃったら、そりゃ「里にとって最高ランクの危険人物」の烙印を押して暗殺しようって気にもなるのも、わからないでもない……。

イタチも流石に、「里抜けした弟の助命のために、ダンゾウをまた脅迫しに来る」ってことはしなかったらしいし……と、ここまで来て、また別の考えが。
これはぶっ飛んだ推測かも知れないですが……。


イタチにしてみりゃ、うちはを殲滅しようとしたダンゾウみたいなのが(密かに)幅を利かせている木ノ葉の里より、音の里のほうが、サスケを置いておくには安心だったんじゃ?
少なくとも、大蛇丸が目を光らせている音の里には、命に危険が迫るような、体に後遺症が残るような危害をサスケに加えるヤカラはいなかったはずだし。

「サスケが木ノ葉を抜けて大蛇丸のもとへ走った」って事実は、ナルト1人から見れば「サスケを大蛇丸に取られた」って解釈だったらしいですが、その他の大半の者にとっては「サスケは、復讐のための力を得るために、木ノ葉を捨てた」って解釈でしたよね。
サスケ自身もそういうつもりだったし。
でもイタチにしてみれば、「ああ、あと3年近くは、サスケの命は大蛇丸に守らせることができる」って意味では、むしろ安心材料にもなり得たのかも。
「大蛇丸の転生は3年くらい先だってことを、イタチは何でわかったのか」ってことについては、まあ完全木ノ葉サイドの自来也が知っていたくらいだから、イタチにだって知り得ただろうし。

(まあ肝心の大蛇丸その人が、サスケに妙な真似をすることは絶対になかったという保証はどこにもないですが、イタチにしてみれば「殺されるよりははるかにマシだ」ってことだったかも知れないし……。
サスケ本人もナルトに、「力を手にできるのなら、ミサオなどいくらでもくれてやる」って言ってましたよね(それは言ってません)。

あー、でも、音の里にて、サスケの命の安全はとりあえず保証されたも同然とはいえ、サスケが妙な真似をされるかも知れないという危険性を思えば、イタチは冗談抜きで「許せサスケ…」と思っていただろうなあ……(涙)。

思えば、イタチこそが、木ノ葉の里の上層部を含め、多くの者から許しを請われて然るべき立場だったのに、イタチ自身は心の中でずっと「許せサスケ…」と呟きながら、サスケの憎しみを、その身に受け続けていたんですね。
今になってみれば、イタチがサスケとの対決の中で口にした、

「…人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている。それを現実という名で呼んでな」
「人は皆思い込みの中で生きている。そうは考えられないか?」

というあの言葉は、イタチが苦しい心の内を思わず吐露しかけたものともとれるような、切な過ぎる言葉でした……(涙)。

「思い込み」といえば、私は約半年前(自来也がペインと戦っていた頃)の感想で、
<実際には、「見ているはずなのに見えていない」とか「見たはずがないのに見た気になっている」とか「聞いているはずなのに聞こえていない」とか「聞いたはずがないのに聞いた気になっている」とかって、別に幻術とかじゃなく、「本人の思い込み」から来ていることがいちばん多いんですけどね(って身も蓋もない(笑))。>
などと書いていたんですが、確かに、自分を自分の「思い込み」から解放するってのは、容易なことじゃありません……日々そんなことの連続です……(何があった自分(笑))。)

イタチにとって厄介だったのは、「サスケが大蛇丸のもとへ行ってしまった」ことより、「サスケが大蛇丸に呪印をつけられた」ことのほうだったんでしょうね。
でも、この呪印についても、イタチはどの道サスケと戦って死ぬつもりらしかったし、そしてその時に、自分の命と引き換えになってもいいから、呪印を消してやろうと思っていたらしいし……(涙)。


「ダンゾウ失脚はガセネタだった」から始まって、イタチ追悼の記事になってますが、まあ、何から書き始めようが、この回の感想は、最終的に全部イタチについての内容になるのは自分でもわかってます。
「感想その3」は、マダラの言葉で読者が正真正銘初めて知った、イタチ兄さんのあの衝撃の事実についてですよ!(笑)


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WJ26号『NARUTO』第401話「幻術(まぼろし)」の感想。(その3)に進む



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WJ26号『NARUTO』第401話「幻術(まぼろし)」の感想。(その1)

『NARUTO』ファンの皆さん、本当に久しぶりに、人気投票が行われるそうですよ!
いつ以来だろう……2006年9号以来だから、約2年4ヶ月ぶりか。
締め切りは6月23日(当日消印有効)なので、まだかなり余裕があります!

対象は、第245話から第399話までだそうです。
つまり、ナルトが木ノ葉の里に戻ってきた『NARUTO (巻ノ28)』から、巻ノ43の終わりまでです。
まあ巻ノ43はまだ発売されてないので、WJ24号「すべての始まり!!」までのことですね。
人物別だけではなくて、「キミの心を掴んだ最高の名シーンを探せ!!」とか、「キミが最も感動した名ゼリフを探せ!!」とか、全部で7部門あるようです。

――まあ、どの期間に限定しようと、どんな部門設定をしようと、今このタイミングで人気投票やったら、あの兄弟のシーン、あの「兄」の台詞で、上位5位くらいまでは占められちゃいそうな気がするんですが……。



話はガラッと変わりますが、「ペットロス」って言葉がありますよね。
可愛がっていたペットが死んでしまった後に飼い主が感じる、「動物が死んだ」だけでは到底済まないほどの、大きな喪失感のことです。

で、ふと思ったのですが、毎週雑誌に連載されていて、何年も続いていた漫画が完結してしまったときに、その漫画のファンが感じる(であろう)、充実感、喪失感、寂しさ、カタルシスなどがない交ぜになったような、あの独特な気持ちには、何か特別な呼び名ってあるんでしょうか。
まだないとしたら、誰か考えてもらえないでしょうか。
斎藤環とか、香山リカとか、斎藤美奈子とか、みうらじゅんとか、あのあたりのお方たちにお願いできたらいいんだけどな。(自分では考えないのか(笑)。)

何でこんなことを思ったのかというと、今週の分を読んで、何だか、「長年続いた作品の最終回を読んだ時に覚える感慨」にも似た思いを抱いてしまったからなのですよ。
そして、この作品が完結する日が来るのも、私が漠然と思っているほど遠い先のことではないのかも、って思いも強くしました。
「その時」が来るのがすんごく怖い反面、日本全国数億数千万人の『NARUTO』ファンが、みんな一斉に擬似ペットロス状態になるほど、完結が惜しまれる中で完結して欲しい、って気持ちもあって、複雑な心境なんですけどね……。

(この「ペットロス」云々の部分は、本来は、今週の感想の締めの回に置いたほうがぴったりくる内容だと思うのですが、敢えて「その1」に持ってきてみました。
ここまで本気で「擬似ペットロス」の予感を覚えたのって、『NARUTO』に関しては初めてだったので。
私、この作品が完結するとわかっている週には、できれば仕事を2日くらい休もうと、今から思ってます、いや本気で。
あ、これは、アニメが完結する週のほうについても、同じですけどね。)



さて私は、前の回の感想で、<「作家より、プロデューサーが前面に出て構成した回」って印象がすごくするんですけど。>とか<あまりにもきれいに、ファン(それもイタチファン)の思惑に、非の打ち所がないほど完璧に応えてくれた、というような展開で、かえって拍子抜けというか、ほんのちょっとあざとい感じさえするんですが……>とか書いておりまして、今もその気持ちは消し切れたわけじゃないのですが……。

でも、こうも何週も連続でボディに食らうと、そろそろこっちも足が止まってきた、というか……。
つまり、私の頭の中にも「ストーリーの流れに乗り切れていない、小生意気な感想をほざき続けて良いものなのか」とか、「ここいらで一丁、マダラの言うことを一旦は信じて、踊らされてみてもいいのではないか」とかいう気持ちも湧いてきてしまいまして……(呆笑)。

なので、この第401話「幻術(まぼろし)」の感想の「その2」以降は、「最愛の弟」とか「愛の代償に憎しみを」とか、そっち路線も重視して書いてみます!
「マダラ怪しい」とまだ思っている中で、どこまで弾け切れるかはわかりませんが……。
まあ結局こういうことですよ……弱きもの、汝の名は腐女子!(笑)


ところでマダラ、「最愛の弟」とか「血の涙」とか、私が数日前にこのブログで使ったばかりの言葉を、ちょいちょいパクらんでくれ!(←自意識過剰です(笑))


WJ26号『NARUTO』第401話「幻術(まぼろし)」の感想。(その2)に進む



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ハピバイルカ先生!

(えー、今現在、日本全国数億数千万人の『NARUTO』ファンの間に走っている衝撃を思うと、たとえ誰のものであれハピバ記事を書いている場合なのかという気持ちももちろん起きないではないですが、今日のこの記事は先週あたりから書こうと決めていたものなので、原作の状況がどうであろうがアップします!(←ケチな前置きはいいからさっさと書かんかい(自分で自分に微苛々)))

今日はイルカ先生の誕生日ですね!
私は、どっちかというとキャラの誕生日よりは声優さんの誕生日のほうに関心が行くタイプらしいのですが(今までも声優さんのハピバ記事は何回も書いたし)、今日はキャラ誕重視の記事にしてみます!

実は先日、今月がイルカ先生の誕生月であることを忘れながらも(殴)、このDJCD↓を買ったのです!

ラジオ DJCD オー! NARUTOニッポン 其の二十ラジオ DJCD オー! NARUTOニッポン 其の二十
(2007/04/18)
ラジオ・サントラ竹内順子

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このDJCDのジャケットの絵を見ると、ケーキは置いてあるし、ナルトはクラッカーを鳴らしてるし、テマリは満面の笑顔だし、何だか一見、2人でイルカ先生の誕生日祝いをしているようですが、これは「オーNARUTOニッポン」のDJCDが20枚目になったことのお祝いらしいです。

このCDに収録されている回が放送されたのは、2006年12月及び2007年1月です。
原作では、シカマルが飛段を倒した頃で、アニメは「疾風伝」に入る前々月と前月でした。
このCDでは、関俊彦は、登場の挨拶で、「去年はテレビの中じゃ全然会えなかったなナルト!」と明るく叫んでいました(笑)。

2006年といえば、私はテレビアニメはほとんど観ていなかったのですが(DVDを借りて第1話から観ていた)、ナルトとイルカ先生は「テレビの中じゃ全然会えなかった」のか……。
アニメでは、サスケが里抜けしたのが2005年5月で、「疾風伝」に入ったのが2007年2月ですから、2006年のアニメはまるまる原作から離れていたはずなのですが、それでも「全然会えなかった」なんて……もうちょっとどうにかならなかったのか……。

さて、イルカ先生役の関俊彦は、こういうラジオのトークには、いい意味で慣れてる感じでした。
アニメ「NARUTO」の現場では「全然会えなかった」竹内順子とのトークもすごく和やかで弾んでいて、「卒業していった生徒が、その卒業校を訪ねていって、元担任の先生と会って、元担任の先生の昔の思い出話や失敗談を聞いて、盛り上がっている」って感じでした……ってこれ、ナルトとイルカの関係そのものですね!
役の上での関係の雰囲気と、役者さん同士の素の会話の雰囲気が似ていることって、この番組ではあんまりないんですけどね(笑)。
稀有なパターンですよ!(笑)

関俊彦のデビューの仕事は「NHK総合でやっていた「太陽の子エステバン」の兵士A」だ、ってことは知ってたんですが(「野沢雅子に肩を叩かれて台詞を言った」ってエピソードも有名ですよね)、これは「アニメの初仕事」であって、「声の初仕事」はもっと前の、別の仕事だったんだそうだ。
知らなかった。

普通、男の役者さんって、「若い頃には高い声でガンガン演じられたけど、年齢を重ねるにつれてそれが苦しくなってくる」ってことが多いらしいんですけど、関俊彦は若い頃の高めの声を、今でも全然苦にしないで出せているように見える(というか聞こえる)んですが(このDJCDのトークの声も、けっこう高めだし)、ご本人としてはどうなんだろう。

別作品の話で恐縮ですが、関俊彦が出演している「最遊記」シリーズのボイスドラマのCDでは、最後のトラックがたいてい、出演している声優さんたちの座談会や一言メッセージになってるんですが、役の声と地声のギャップがいちばんあるのって、関俊彦だと思います……。
この「最遊記」での役の声は低くて、4年くらい前だったか、最初に聴いた時は「あれが関俊彦の声なのか」とびっくりしたものだった……。
ってことは、関俊彦の場合は、若い頃に比べると、「高い声が出しにくくなった」ってよりは「低い声が出しやすくなった」ってことなのかな。

あれ、キャラ誕重視の記事にするつもりが、結局声優さんの話になってるな(笑)。
ちなみに、関俊彦の誕生日は6月11日(イルカ先生の誕生日とあんまり離れてないですね)で、今年で46歳だそうです。



ところでイタチファンの皆さん、もうすぐ6月9日ですが、今年はお祝いする気力はお有りですか〜?(と、力なく問うてみる(涙)。)

ってなわけで、WJ26号の感想に続く!(多分、ね(涙)。)



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うちはサスケはスーパースター?

1ヶ月ちょい前、WJ20号の「真実を知る者」で、サスケが“天照”を(我知らず)発動する前、眼から「血の涙」を流すのを見て、思いついたことがあります。
(また聖書ネタです。
「欧米か!」と突っ込んでやってください(笑)。)

聖書には、イエスは磔刑(たっけい)に処せられる前夜、自分の死が近いことを悟り、「ゲッセマネの園」という場所で、「血の涙」を流しながら、夜を徹して「父なる神」に祈り続けた……というエピソードがあるのですよ。
聖書の記述だと、イエスは割とすんなり「父なる神であるあなたの意志なら、私は死を受け入れます」という心境に至ったような印象があるのですが……(何せ、それほど多くの記述がないもので)。

聖書を題材にした劇団四季のミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」の中でのこのシーンから受ける印象は、そうではありません。

このミュージカルの中には、文字通り「ゲッセマネの園」という一幕があるのですが、ここでジーザス(「イエス」の英語読み)は、いくら呼びかけても何も言ってくれない、何も答えてくれない「父なる神」に、それでも必死で、何度も何度も呼びかけ、「自分はなぜ死ななくてはならないのか」と問いかけ続けます。
ジーザスは、「この世に生きていること、この世での命」への、ものすごく強い執着心を見せるのです。
散々「悪あがき」をするのです。
「すんなり達観」とはいきません。
その執着の様は圧巻です。
鬼気迫るものがあります。
そして夜明けも近づいた頃、ジーザスは「いいだろう、死のう!」と、ようやく運命を受け入れ、自分を捕らえにやって来る人々を待つのです。

ジーザスのこの「自分にとって絶対的な存在である、しかし何も答えてくれない相手に向かって、必死に呼びかけ続ける姿」って、『NARUTO』の中の誰かを連想させませんか。

そう、「真意を教えてくれなかった、真相を語ってくれなかった兄イタチに、10年近く激しく執着し続けた、サスケの姿」を、です。

百聞は一見にしかず、です。
『NARUTO』ファンの皆さんも、もし劇団四季のこの舞台をご覧になる機会があったら、この「ゲッセマネの園」のシーンの時には、どうかサスケを思い出してください(って、余計な刷り込みすんな>私(笑))。

ふと思い返してちょっと怖くなったのですが、イエスが「血の涙」を流して祈っていた時、イエスに最も信頼されていたはずの3人の弟子は、疲れ果てて、少し離れたところで眠っていた、というエピソードも、聖書には書かれているんですよ。
この3人の弟子の存在って、何だか、サスケを精いっぱい愛しながらも引き止めることができなかった、そのいちばんの苦悩を分かち合うことはできなかった、「ナルト、サクラ、カカシ」に重なってしまいます。
うーん、聖書って、宗教の本であるばかりじゃなく、「いろんな物語の原型が凝縮されて集められた、世界一売れているネタ本」みたいな面もあるんですね、きっと。


「ジーザス・クライスト=スーパースター」は、実写映画のDVDにもなっているのですが(っていうか、もともとはこの実写映画ががオリジナルだった)、音声だけのほうがいろいろとイマジネーション(妄想とも言う(笑))が広げやすいので、CDのほうを載せてみます。
(「サウンドトラック」とありますが、英語で歌われている歌も込みで収録されています。)

ジーザス・クライスト・スーパースター ― オリジナル・サウンドトラックジーザス・クライスト・スーパースター ― オリジナル・サウンドトラック
(2002/05/02)
サントラ

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できれば劇団四季の舞台のCDを載せたいところなのですが、なぜか四季が上演した舞台のCDは出ていないようなのですよ。
作曲者(アンドリュー・ロイド・ウェバー)が同じである「オペラ座の怪人」や「キャッツ」は出ているのに、何でなんだろう。
私としては、劇団四季が上演した舞台を収録したCDの中では、「ジーザス・クライスト=スーパースター」のCDがいちばん欲しいくらいなんだけどなあ。
(それもできれば、山口祐一郎がジーザスを演じていた頃のものが……ゴホゴホ(叶わぬ夢)。)



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WJ25号『NARUTO』第400話「地獄の中で」の感想。(その3)

希望を託したといえば、ナルトもまた、イタチが希望を託した存在なんだと、私は思いたい(涙)。
イタチはサスケとの最終対決の前、ナルトの前に現れて、サスケへの執着を隠そうともしないナルトに、「何故そこまで弟にこだわる? あいつは抜け忍だろう」と尋ねていました。
「ナルトはサスケを、全身全霊かけて追っている」ってことを、あの時点までイタチは知らなかったらしい、ってことについては「兄さん、意外なところで脇が甘いんだな」と、今でも思わないでもないですが……。

イタチのその問いに、ナルトは「少なくともお前なんかより…アイツのことを兄弟だと思ってるからだ…!!!」と、エクスクラメーションマーク3個付きで言い切り、それを聞いたイタチはややあって、口元に微かな笑いを浮かべていました。
あの表情はやっぱり、「オレがいなくなっても、サスケは1人じゃない」「これでオレも、心おきなく、死出の旅へと発ってゆける」という思いを表したものでもあった……という解釈をしてもいいですよね今の時点では(涙)。

でもナルト、今となっては、あの「少なくともお前なんかより…アイツのことを兄弟だと思ってるからだ…!!!」って言葉は、ちょっと勇み足だったかもな。
イタチだって、これ以上ないほどに、サスケのことは大切な兄弟だと思っていたんだし……まあサスケ本人にすらそれがわからない状態で、ナルトがそれに気づくわけはないんだけど。
ナルトにとってのサスケは「共に生きたい」相手なんだろうけど、イタチにとってのサスケは「この相手のためなら自分は死んでもいい」という存在だったんでしょう。
どっちの思いがより強いか、より本物かってことではないんですよね。


ナルトといえば、ナルトたちは今、綱手のところへ一旦戻っているのかな?
キバと赤丸が追っていたサスケの匂いも途絶えたし、雨も降ってきたし、もう時間も夜に差し掛かっているんだろうし……。
下の遡及コーナーでも書いてますが、ナルトが「よっしゃーー!! 行くってばよォ!!」と言って木ノ葉の一行が出発してから、今週の25号でちょうど1年なんですよね……。
作品中では4時間か5時間くらいしか経っていないはずですが、読む側として、そろそろ綱手のところへ戻って、里としての今後の方針を煮詰めてまとめて確認して、読者に知らせて欲しい気もします。

あー、でも、綱手のもとへ戻ったら、ナルトは多分、自来也の死を知らされることになりますよね……いつまでも知らないままではいられないだろうし……そうなったらナルトは「里としての今後の方針」どころじゃないかもな……。
ナルトがどんな登場の仕方をするのかが怖い……(主人公の登場が怖いって、それどんな漫画(笑))。


えー、ここまで来て「マダラ怪しい」ネタをまた蒸し返すようで恐縮なのですが……。
マダラは、「(イタチは)弟だけは…殺せなかった」ってあの台詞が、サスケに対してのみならず、(大人の女性の)読者に対しても決定的な殺し文句になると思ってるんでしょうけど(まあ実際私も「殺され」かけたんですけど(笑))、「イタチが一族を抹殺した」ってことには、やっぱりどうにもこうにも、生理的に抵抗感を感じてしまうなあ……。

「当時の一族の中には、イタチより年少の者は、サスケしかいなかったのか? 他の子供のことは手にかけたのか?」とか、「任務で怪我をしたり、生まれつきのハンデがあったりして、忍として危険因子になる可能性が低い者も殺したのか?」とか、「妊娠中の女性はいなかったのか?」とか、そんなことまで考えてしまいますよ……これ、今日山手線に乗っていて、優先シートのイラストを眺めていたら思いついたことだったんですけどね。
頭の中は、いつでもどこでも『NARUTO』でいっぱいです。(←大丈夫なのかそれは(笑))


しかし私も、結局はマダラの話に助けられながらこれだけ長々と書いてるくせに、何で最後の最後までマダラへの疑惑が消えないんだろう、と思ったのですが……その理由は意外と単純で、「今の顔をマダラが見せていないから」ってことかも。
サスケのすぐ近くにいるマダラが、なぜ未だにサスケに顔を見せないのかがわかりませんし。(目を合わせさえしなけりゃ、マスクを外したっていいはずですよね?)

顔を見せられるはずなのに見せない相手に、何やらいかにも重要らしい過去話をエンエン語られたら、その過去話を聞くには聞くけど、同時に「こいつ本当は何者なんだ、胡散臭い」って思いませんか、普通?
「顔が見えるか見えないか」って、大きなポイントでしょうやっぱり……スーパーマーケットで野菜を買うときだって、「私が作りました!」という生産者のお方の写真が載っていると、ついそれを買っちゃうことがありますしね(って、うちは一族は別に、有機栽培農家の一族ではありませんから(笑))。

(あー、散々「胡散臭い」と書いた後で、支離滅裂なことを書くようですが、回想シーンのマダラの外観はけっこう好きです私(笑)。)


恒例の「気が早すぎ」企画についてですが、今週のこの「地獄の中で」が、巻ノ44のトップに来る回なんですよね。
初っ端のサブタイトルが「地獄の中で」って……ああどんな1冊になるんだ巻ノ44(不安)。


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今週の遡及コーナー。
1年前(2007年)のWJ25号でのサブタイトルは「動き出す者たち」でした。
サスケが猫バアのもとを訪れ、忍猫のデンカとヒナが登場し、“蛇”の4人は黒マントを、木ノ葉の8人は白マントを羽織った姿を初披露し、一方でデイダラは「九尾とサスケのどっちかを狙うか」でまだ迷っている回です。
(掲載巻は→『NARUTO 巻ノ39 (39) (ジャンプコミックス)』。)
ナルトたちってあのマント、もう1年着てるんだな。(作品世界の中ではまだ数時間ですが。)
ところで、この猫バアのところで調達した小道具って、サスケはその後、どこで使ったんでしょうか。
イタチとの対決の中では使ってなかったですよね……あれ、どこかで使ってましたっけ?

2年前(2006年)のWJ25号でのサブタイトルは「気まぐれ…!!」でした。
サスケがナルトの耳元で「なァ…ナルト」と囁いた回です。
(他にもいろいろあったけど、私にとってはこれに尽きる回だった(笑)。)
(掲載巻は→『NARUTO (巻ノ34)』。)

3年前(2005年)のWJ25号でのサブタイトルは「カカシVSイタチ!!」でした。
カカシとイタチの掴み合いが繰り広げられ、ペラペラカカシが燃え、ナルトの“大玉螺旋丸”が炸裂し、“暁”の“象転(しょうてん)の術”が明かされた回です。
まあ、それがはっきり明かされたのは読者に対してだけで、カカシ班やガイ班は推理していただけでしたが。
でも今思うとあの“象転の術”って、「サソリが2人の部下を生け贄として差し出し、イタチと鬼鮫のチャクラを3割程度使って、リーダーが施した」という、チームワークの結晶(笑)だったんですね。
(掲載巻は→『NARUTO (巻ノ29)』。)



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WJ25号『NARUTO』第400話「地獄の中で」の感想。(その2)

偶然でしょうが、ここしばらく、原作でもアニメでもダンゾウダンゾウと、何かとダンゾウがクローズアップされているので、そこから思ったのですが……。

天地橋の任務のあたりを読んだ時、「大蛇丸の器となるべき、写輪眼持ちの忍者」、つまりサスケは里にとって充分危険な存在なんだ、ってことは私にもわかったんですが、もとをただせば、少なくとも“木ノ葉崩し”前後は、里にとっていちばん危険だったのは、大蛇丸のはずでしたよね。
怪しげな人体実験をいっぱいやった挙句に里を抜け、「写輪眼を持つ者に転生する」ってことを目的としてサスケに呪印をつけ、大々的に火影とサシで対決までして、結局三代目火影は死んじゃったんですし。
フィクションに「たられば」を言ってもしょうがないですが、ダンゾウも、里に仇なす最たる者である大蛇丸を抹殺したいなら、大蛇丸が三代目に呪いをかけられて弱っていた時を狙えば良かったんですよね。

ダンゾウがサイに「サスケ暗殺」を命じたのは、「大蛇丸を暗殺するのはもはや無理だけど、器となる予定のサスケの暗殺なら、まだ間に合うかも知れない」と思ってのことだったのかも。
言ってみりゃ「ダメもと」ですね。
まあサスケも、「ダメもと」で暗殺されちゃたまったもんじゃないですし、だいたい天地橋のあの時点では、サイはサスケに到底敵うはずがなかったんですが。

サイが「サスケ暗殺」の極秘任務に失敗して里に戻ってきた時、ダンゾウがやけにあっさりサイを許したなと思ったんですが、あれはダンゾウのほうにも、「まあこっちも段取りが悪かったし、タイミングを逸していたのは確かだ」という自覚があったからかもな。
人間、自分に負い目があると、妙なところで甘くなるものですし。
サイも、それを感じ取ったから、「ダメもとなんかで人を危険な任務に送り込みやがってこのジジイ」という思いもちょっとあって、「この名のまましばらくカカシ班に身を置かせては頂けないでしょうか…」などと、ちょっと強気に出たのかも……いや、あのサイは、「このジジイ」とかいう「感情」は、まだないかな(笑)。


ダンゾウのことを書いているうちに思ったのですが、うちは一族の処遇を巡ってあんなに孤軍奮闘していた(らしい)三代目って、そもそもよく三代目として火影に就任できたなあ、しかもあんなに長きにわたって在任し続けられたなんて、という気がしてきました……。
ミナトの四代目としての就任によって、三代目もいちどは火影の座を引退したものの、その後また再任されたんですからね、この再任も、ほとんど奇跡のように感じられます。
(マダラの過去話が本物っぽく聞こえるのも、「三代目を、温情主義、平和主義の人物として語っている」ってことが大きなポイントになってると思います。)

三代目のチームメイトだったホムラもコハルも、政治的なことに関しては、必ずしもいつも三代目の味方や支えってわけでもなかったみたいだし……このことは、火影になった綱手に対するこの2人の言動を見ても、わかりますよね。
仲の良かった同期の社員同士も、幾多の年月を経て役員同士になれば、役員会議で火花を散らしたり、逆に冷戦を繰り広げたりすることも、世間では間々あることですしね(って、いつもいつも『NARUTO』ワールドをサラリーマン社会に例えるのはやめなさい(笑))。

確かアスマは、三代目が41歳の時の子なのですが、三代目はアスマのことを、内心ではすごく頼りにしていただろう、ってことがわかりますよ……三代目は、里長としては「四面楚歌」「孤立無援」みたいな思いを抱くことも多々あったでしょうしね……なのに若い頃のアスマときたら……(って、こっちの方面の感想は、アニメの感想として書くことにします)。

あと、今から思えば、ダンゾウもホムラもコハルも、アカデミー卒業後の子供たちを班分けするに際して、サスケとナルトを同じ班に置くことによくOKを出したなあ、とも思います。
そのあたりに口を出す権限はもちろんあったでしょうしね。
あともう一つ、「曰くつきの子」2人を任されたカカシが、三代目からどれだけ信頼されていたか、ってことも、今になって改めてわかってきました。

(カカシで思い出しましたが、さっき井上和彦のブログを見たら、「この夏は、カカシは出るのか?」みたいなことが書かれていて、私はコケそうになりました。
担当してる声優さんが、出番のあるなしを知らないのかい……と思ったのですが、よく考えたら無理もない、その頃(この夏)はまだ、テレビアニメのストーリーは原作に戻っていない可能性もあるもんな。)


今週の分を読み返してみて、若干引っかかったのは、「サスケが力を求めて木ノ葉の里を抜け、大蛇丸のもとへ走った」ってことについて、マダラも、マダラの語るイタチも、全然触れていないということ。
ナルトやサクラにとっては、あのことこそが大大大事件であり、その後の2年半の進路というか、大げさに言えば人生を決める出来事だったのに、イタチやマダラから見れば、「サスケの里抜け」は、「織り込み済み」どころか「取るに足らない」とまで思われていそうな感じなんだよな……。
イタチにとってもマダラにとっても、今となっては大蛇丸の存在って、「いたな……そんな奴も」的なものに過ぎないんでしょうか……そうだとしたら、何だかそれも哀れだなあ大蛇丸。


えー、ものすごく唐突ですが、神父さんや牧師さんのよく言う言葉に、「誰かを愛そうと必死にならなくていい。誰かに愛されようと必死にならなくていい。ただ、神に愛されているということに気づきなさい。それだけでいいのです」というようなのがあるんですが、今までのサスケもまさに、それに近い状態だったんですね……。
小さい子供にとっては、家庭がイコール世界のすべてだったり、自分より年長の家族が「神」に近い存在に感じられたりすることがあるものですが、サスケは、両親にはちゃんと愛されていたし、兄にだって実は愛されていたし、それプラス、家庭の外でも、友達になりたい、友達であり続けたいと思ってくれる同世代の子供もいたし、気遣ってくれる大人も、数は少ないながらいた……。

ただサスケには、兄からの愛だけは、あんなことがあった後では、どうしたって知りようがなかったですよね……サスケにはそれこそが、いちばん必要な愛だったのに……。
「愛されているということに気づく」って、言うほど簡単なことじゃありませんよ、神父様、牧師様。(←誰に呼びかけてるんだ(笑))

そして、ラストのコマで「…うそだ…」「そんなのうそに決まってるだろ……」とうわ言のように言うサスケを見て思ったのですが……。
「自分がずっと気づかなかった誰かの愛に気づく」って、必ずしも心の平安や安らぎにつながるものだとは限らないんですね……。
まあサスケの場合はレアケースですし、そもそもがフィクションなので、サスケを例にとって神父さんや牧師さんに詰め寄るつもりもありませんが(笑)。


「その1」で書いたように、私も『NARUTO 巻ノ42 (42) (ジャンプコミックス)』を読んでみたのですが……。
この巻でイタチは、サスケとの対決の中で、1度目の「強く…なったな……」を言ってるんですが(2度目は巻ノ43に載るはず)、サスケの眼を奪おうとして(というか、そうするように見せて)至近距離にまで接近した時には、「コイツ、オレに似てなかなかいい男になってきたな」とか何とか、思わなかったんだろうか(笑)。
――ってこれ、半分はふざけて書いてますが、半分は本当にそうだったらいいのにな、という気持ちもあります。
だって、自分が希望を託した弟のことなら、その弟が強くなったことのみならず、見目麗しくお育ち遊ばした(何で敬語?)ことだって、嬉しくなかったわけがないだろうし。

巻ノ42の、WJでいうと約4ヶ月前の第386話の、あの衝撃の「サスケェ!! お前はオレにとっての新たな光だ!」とのコマを見返して思い出したのですが、WJでこのコマを見た時は、イタチのあの表情に仰天したのと同時に、イタチのこの台詞とあの表情の組み合わせに、微かな違和感を覚えたものでした。
今思えば、「お前はオレにとっての新たな光だ!」というこのフレーズは、「お前の眼をもらう」という意味じゃなく、「お前はオレが希望を託した、オレの光だ」とか「お前はオレの希望として、これからも生き続けろ」とか、そっちのほうの意味だったんでしょうね……(ああ村上春樹か何かを解読している評論家か私は(笑))。


このあたりでまた一旦切って、「その3」では、主人公!であるナルトのことについて、ちょっと書こうと思います。


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植える!(←某アニメの最終回のサブタイトルのパクリ(笑))

今日(5月21日)は小満(しょうまん)でした。
稲作農家の方々は、田植えの準備ですね。

今の私の周りには水田はないですが、よく行く街の花壇に変化が!
先月はこんな感じ↓だった花壇が、

青と黄色のパンジーの花壇。


先週はこう↓なっていました。

植え替えシーズン。


花壇の土の面がこんなに広く露出しているのを見られた、貴重な瞬間でした……職場の近くの花壇は、朝と夕方との間に、即行で植え替えをやっていた(らしい)のに。
上の写真の土部分にも、きっと今はもう、夏向きの花が植えられているだろうな。
近いうち、またあの街に行く機会があったら、あの花壇の近くを通ってみよう。
その時は、夏の花の写真を追加でアップするかも。

ところで最近、「ご実家の地方では、田植え休暇はあるんですか」と聞かれました。
私は、どのあたりの出身だと思われているのでしょうか。
いやそれ以前に、私はどの世代だと思われているんでしょうか。




WJ25号『NARUTO』第400話「地獄の中で」の感想。(その1)

今週も、マダラのソロステージは続きます……。
そういえば先週の土曜日、イタチ役の石川英郎のバンドのコンサートが東京であったんですよね。
(バンドメンバーには、シカマル役の森久保祥太郎もいるとのこと。
うーん、イタチとシカマルが一緒にバンド組んでるのか。
シカマルって、音楽には弱いんじゃなかったのか(笑)。)

私は行きたかったけど行けなかった……勉強会もどきの集まりがあって、4時間も缶詰め状態でした。
思い出しただけで酸欠になりそうです(って、私が行けなかった事情などはどうでもよろしい)。

コンサートといえば、石川英郎が、「ラジオのおもしろ企画コーナー」みたいな場で無理やり歌わされるんじゃなく、歌手として本気で歌う歌を(別の作品のCDで)聴いたのですが、歌声は意外と地声に近いです。
イタチの声はあれ、かなり作り込んでますよ石川英郎。


(ああWJ本編の感想に全然入れない。)


さて、今週は、「作家より、プロデューサーが前面に出て構成した回」って印象がすごくするんですけど。
「マダラが語るうちはのお家事情については、ここ数年のファンサイトやファンブログをざっと巡回して、多数決でシナリオを決めよう」
「(大人の女性の)読者たちの中の最小公倍数(=サスケはずっとイタチの最愛の弟であり続けたんだ、ということ)はやっぱりこの辺できっちり拾っておこう」
みたいな感じがしてしまって……。

あまりにもきれいに、ファン(それもイタチファン)の思惑に、非の打ち所がないほど完璧に応えてくれた、というような展開で、かえって拍子抜けというか、ほんのちょっとあざとい感じさえするんですが……言い過ぎですかね私(笑)。

だって、「イタチはなぜサスケに自分を恨ませ、憎ませたのか」のあたりなんて、あれ、ファンの間では半ば「解決済み」みたいなネタだったでしょう。
そりゃ、原作で公式に描かれた重みはすごいものですが、私は、読んでいて強烈なデジャヴというか、「え、これってまだ公式にちゃんと描かれてなかったんだっけ?」というような感覚を覚えてしまいましたよ……。
まあ、第1部からのイタチの言動をもとにして「意外な展開」を予想するとしたら、ああいうプロットしかあり得ないんですけどね……。

(今気づいた、あざといのは、ストーリー展開じゃなく、(大人の女性の)読者にウケるのを見透かしているかのような、マダラのあの言葉の選び方、あの話の構成、あの語り口だ(笑)。
そして、見事に「見透かされた」側としては、「あざとい」と遠吠えすることくらい、許して欲しいです(笑)。)


惜しむらくは、うちはのお家事情を語ったのが、まだ謎だらけのマダラであるため、クーデターとかイタチの任務とかの点については、(疑り深い読者としては)いまいち全身全霊では納得できないってことかなあ……。

皆さんも、『NARUTO 巻ノ42 (42) (ジャンプコミックス)』及びその後のWJ(こっちは保存してあれば)を読んでから、今週の分をもういちど読み返してみてください。
マダラがサスケに語ったイタチ像は、今までの読者の希望的予想や希望的推測を、底引き網のようにごっそりさらって回収していってくれましたが、イタチがサスケに語ったマダラ像は、未だにわからないことや、矛盾だらけですよ。

例えば、マダラがその弟の眼を引き継いだ経緯とか、「(イタチにとってマダラは)相棒であり師であり不滅の男」ってどういう意味だったのかとか、何でイタチはマダラのことをサスケに「…マダラは生きている 信じる信じないはお前次第だ」などという言い方をしたのか、とか。
(あ、「相棒であり師であり不滅の男」という言葉については、もし一族皆殺しのことについて言っているのなら、回りくどくもすごく悲しい表現なんですけどね……。)

イタチの任務について、マダラの言ったことが本当だとしたら、イタチは里のため、たった12歳か13歳そこらで、あれだけのタフ・ネゴシエーターぶりを発揮した、ってことですよね。
里の任務を受け入れたこととは別に、マダラと(悲しい)取引をし、三代目にサスケの身の安全を頼み、ダンゾウを脅し、自分は姿を消し……何だかイタチが、『三国志演義』の貂蝉(ちょうせん)に見えてきました……(注:貂蝉は女です(笑)。架空の人物ですが、古代中国四大美人の1人です)。

マダラの言葉をそのまま借りれば、里からイタチへ下された任務が「一族を殺した犯罪者として、汚名を背負ったまま抜け忍になること」なのだったとしたら、抜け忍になった後のことは、特に指示されていなかったんでしょうね。
この過酷な任務を下した側とすれば、まさか、「里の再度の一大事には戻ってきて、里のために働いてくれ」とは言えなかっただろうし……はっきり言えば、「里とうちは一族の秘密を抱えたまま、自ら命を絶って欲しい」くらいのこと、思っていたでしょう。

イタチも、心情的にはそうしたかったかも知れないですが、そうはしなかった、ってより、できなかった。
理由は主に二つ。
一つは、時を待って、いずれサスケに自分の瞳力を与えなきゃならなかったから。
もう一つは、サスケがダンゾウなどものともしないほど強くなるまで、ダンゾウを脅迫し続ける必要があったから。
(そうか、ゆすりを続けるには、何よりも自分がしぶとく生き残る必要があるわけだな。命あっての脅迫。←悪知恵はよせ(笑))

マダラ曰く、里の上層部は、イタチの「争いを好まない、平和を愛する」「一族というしがらみにとらわれることなく、里を愛する」というところにつけ込んだそうですが、結果的にはそれを逆手に取られて、「根絶やしにしようとしたうちはの者を、最低限、1人だけは生き続けさせなきゃならない」ってことになったわけですよね。
(うん、やっぱり、人の弱みにつけ込んで目的を遂げようとしても、たいていはこういう展開になるもんですよね。←今度は殊勝です(笑))

マダラの言葉を信じるなら、「里の平和と、自分の大切な肉親たった1人のため、自分自身はとんでもなく苦しい役割を引き受けた」って、ネジの父ヒザシを思い出すなあ。
サスケにとってはイタチって、父フガクと同じくらいかそれ以上に、「父性」を感じさせる存在でもあったんでしょうね。
目覚めろ父性!(←ネタが若干古い(笑))


マダラの真意がどこにあるのかはまだわかりませんが(何だかこんな言葉ばっかり使ってるなあさっきから)、自分の話をサスケに信じさせたいのは確かでしょうから、イタチとの対決を終えた直後の、バーンアウト状態のサスケを捕まえたのは、作戦としては上手いな。
剣道でも、「人間は、相手に大技を仕掛け終わった直後に隙ができやすいので、自分ではそこに注意しろ、そして相手のそこを狙え」と教えられたもんです。
この作品の中で、今週のラストのコマのサスケの表情ほど、「茫然自失」って言葉がぴったりくる表情を見せた者が今までいたでしょうか?


ふと思ったのですが、「うちはマダラ」って人物は、「うちはのお家事情のうち、サスケの知らない部分について語らせるには、どういう背景を背負った人物なら的確か、読者に無理を感じさせないか」って切り口から考えられ、作り出されたものだったのかも知れませんね。
「実はうちはには、もう1人生き残りがいた→そいつがサスケに、うちはのお家事情を語った」ではなく、「うちはのお家事情を、サスケと読者には明かす必要が出てきた→じゃあどういう設定にすれば、可能な限り『後出しジャンケンだ』『無理があるよ』という印象を読者に持たれず、うちはのお家事情が描けるか」という、逆の流れで。

思えば、「ナルトの出生、両親について」という重要なエピソードは、自来也と綱手が披露してくれましたが、あれは、ナルトを思う大人がナルトの周りにいっぱいいたから、そのうちの既出の人物が、その役割を担ってもOKだったんですね、きっと。
それに引き換え、サスケの場合、木ノ葉の里を出てしまった後は、周りには妙な大人しかいませんでしたから(笑)、サスケにまつわる重要なエピソードをそれらしく語るには、それなりの人物像を作り上げる必要があったんでしょうね。

マダラは、その役割をこなしてるかな?
うーむ、ここまで信じ切れない読者(私のことです(笑))がいる以上、ちょっと荷が重いんじゃないの?
(まあ、誰が出てきて何を言っても疑うんでしょうけど私は(笑)。)


「見落としていた!」と気づいたことが一つ。
前の号の感想で私は、<しかし、マダラが一族から裏切られて復讐者になったのなら、その憎悪の念は、木ノ葉の里よりはむしろ自分の一族に向けられそうな気もするんだけど、矛先は木ノ葉の里に向いたんですね。>なんて書いてたんですが、今週号のマダラが「千手の木葉にもうちはにも恨みがあったからな」と言っているのを見ると、マダラはちゃんと(という書き方もおかしいが)うちは一族のことも恨んでたんですね。
っていうか、イタチがサスケに「一族皆殺しの協力者はうちはマダラだ」と言った時点で、「マダラもうちはを憎悪していたのか?」と訝って然るべきでしたよね私も(汗)。

ただ、サスケが「一族皆殺しには協力者がいたはずだ」とイタチに聞いた時、イタチは一応「それはうちはマダラだ」と答えはしたものの、何だかあのあたりのイタチの言い方がいかにもどうでもよさそうで、「何だか、相変わらずサスケを適当にあしらってるなあイタチ兄さん」という感じが、どうしてもしてしまったのですよ。
だから私は、「一族皆殺しの協力者はうちはマダラ」ってことは、もしかしたら嘘なのかも、あるいはそれほど重要なことではないのかも、と思っていた……いったいどこまで疑り深いんだ私は……もしかして、疑り深いんじゃなく、ただ単に読解力がないだけなのか>私(笑)。

読解力に自信がなくなったので、もういちど今週の分を読み返してから、続きを書きにきます。(←その程度じゃ読解力は変わらないと思う(笑))


WJ25号『NARUTO』第400話「地獄の中で」の感想。(その2)に進む


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満月ケーキ。

今日(5月20日)は満月でした。
んで、こんなもの↓を食べました。

ホットケーキ。


別に、満月にちなんでってより、突然、蜂蜜味のものが食べたくなったからなんですけどね。

でも、喫茶店でホットケーキを頼むと、出された瞬間、毎回その小ささにびっくりします……。
自分の家でホットケーキを作ると、その日のうちには小麦粉2カップ分のホットケーキを平らげてるから、かなあ(笑)。

ホットケーキミックスで作るお菓子の本↓を載せてみます。
ああオーブン欲しい……(食欲と物欲だけの記事じゃないのかこれ(笑))。

かんたん!ホットケーキミックスで作れるお菓子かんたん!ホットケーキミックスで作れるお菓子
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大森 いく子

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WJ24号『NARUTO』第399話「すべての始まり!!」の感想。

この24号が終わったところで、巻ノ43の1冊分のストックができたはずなんですよ。
皆さん、巻ノ43の表紙には誰が来ると思いますか?(←恒例の、気が早すぎ企画(笑))
巻ノ42の表紙の絵は、自来也とナルトのあんな泣かせるものでしたが、巻ノ43の表紙がもし、イタチとサスケの泣かせる絵だったらどうしよう(涙)。

でも思えば、巻ノ42では「自来也死す」のエピソードが載り、そして巻ノ43では「イタチ死す」のエピソードが載るはずなんですよね。
重要人物がこうも次々と退場していくのは寂しいですね……。
岸本センセイも巻ノ42のメッセージでは、「これからラストに向けてどんどん描き進んでいきたい」と書いていますしね……まああのメッセージを真に受けていいものなのかどうなのかはわかりませんが。(←作者のメッセージまで疑うのか私(笑))

しかし、巻ノ43まで来て、その最後のサブタイトルが「すべての始まり!!」って、大きく出たというか、スケールのでかさは本物だというか、ほんと壮大な群像ドラマになってきつつありますねこの漫画も。


うーん、今回は、本編の感想はあんまりないかなあ……。
文字情報が多くて、マダラのひとり朗読会みたいになってますが、マダラの語っていることについて謎解きする気になかなかなれないのは、「たった1人だけが語っているに過ぎないことは、真に受けるな」という法則が、イタチによって私の頭の中で完全に確立されてしまっているからです。
だから、イタチや自来也が言っていたことといろいろ食い違うことがあっても、「まあそんなもんだろ」って感じで、それほど気にならなかった。

1ページ目の初代火影とマダラの絵を見て思ったのですが、この2人、一時は対等だったこともあったんですから、年齢もそんなに離れていないと思うのですが、リアルな歳の差はどれくらいだったんでしょうね。
何だか、1ページ目の上下2段に分割されたコマのマダラが露骨に「この人には叶わない」って表情をしてるみたいなんですけど。


今週のエピソードのうちでは、マダラが「オレはオレは」と自分語りをしている部分よりは、里の成り立ちについて概論みたいに語っている部分のほうが、まだ信憑性が高そうな気がするので、その部分には比較的食いついて読みました。
これだけ発行部数が多い商業誌に掲載されている作品が、何週にもわたって、特定の登場人物のまるっきりの作り話を読者に読ませるとも思えないし(って食いついたのはそんな理由なのか(笑))。

で、木ノ葉の里の成り立ちについての私の予想は、完全に外れたらしいです。
里の創設については、3ヵ月半くらい前、私はこの記事(→WJ9号『NARUTO』第386話「新たな光…!!」の感想。(その3))の中であれこれ書いていたんですが、これは違ったらしい。

なるほど、まず「一族」の括りがあって、その上に「忍連合」の括りがあって、それとは別に「国」の括りがあって、「国」が「一族」を雇って小競り合いが続いていたが、「忍連合」と「(火の)国」が協定を結んで、そののちに「(木ノ葉隠れの)里」という概念はできたらしいですね。
そしてこれが結果的に、「一国一里(いっこくいちり)のシステム」となった、と。

しかし、対立する国に雇われた者同士とはいえ、「千手一族」と「うちは一族」の間では殺し合うほどの戦いを繰り広げていても、「忍連合」なんてものは作っていたのか。
何だかその辺は不思議だな。
そういえば、チヨバアが「風の国と火の国はかつて戦火を交えた」みたいなことを言ってましたけど、その頃はもう、「一族」の間の争いってよりは、「国」の間の争いって段階になっていたってことなのかな。


マダラ曰く、「オレは一族のリーダーだった。千手一族が申し入れてきた休戦には反対だったが、一族の者たちに押し切られて、休戦を受け入れた」、ってことなんですね。
労働者の一定数が加入を希望すれば、事業主は同意していなくても、その事業所は雇用保険に加入しなくちゃならないようなものですね(その比喩は多分違う)。

ところで、初代火影も、あのダブダブした火影ユニフォームを着たんだな……何となく、三代目独自の服なのかと思っていたのですが。
あー、初代火影といえば、この人のことは、これから「千手柱間」と呼ばなくてはならないのでしょうか。
私は四代目のことも、未だに「波風ミナト」よりは「四代目」と呼んだほうがしっくりきてしまうんですが。

マダラが「どこに好き好んで弟を傷つける兄がいる」と言った後のコマで、サスケはマダラから視線を外してますが、あれ多分、イタチのことを思ってたんですよね。
まあマダラも、サスケに「…思い出せ」「お前の優しかった兄を…」と言った時ほどは、イタチのことを意識した言葉ではなかったんでしょうが……完全に「オレはオレは」の自分語り&思い出語りモードに入っちゃってますしね。


そしてそして、「初代火影VSうちはマダラ」の戦いの絵の見開きがすんばらしいんですが!
このコマがアニメになる時は、どういう処理になるんでしょうね!
いっそ止め絵の平行移動でもいいぞ、と思った!
(でもそれだと、初代火影は喋らない可能性が高くなっちゃうけど。
前の号でもこの号でも、初代火影の存在感はものすごいですが、全然台詞はないんですよね。)

マダラのバックに満月が出てますが、そうか、“終末の谷”でのあの対決って、夜だったのか。
ナルトが生まれた時の九尾来襲も、満月の夜のことでしたよね。
(関係ないですが、満月の夜って産気づく女性が多いそうですね。クシナもそのパターンだったのかな。)

あれ、じゃあ九尾って、木ノ葉の里が創設されてから、2回出現してる