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WJ23号『NARUTO』第398話「木ノ葉のはじまり」の感想。(その2)

「その1」に、思いがけぬ拍手を(私にすれば)たくさんいただき、驚きつつ喜んでおります!
ありがとうございます!
励まされつつ、「その2」を書くぞ!

マダラはサスケに「イタチの真実を知る者は木ノ葉のダンゾウと三代目火影…(以下略)」と言ってますが、サスケってダンゾウの存在は知ってるんでしたっけ?
ここでのサスケは、デイダラの時に引き続き「ダンゾウって誰のことだ」とか思ってる可能性もあるよな。

サスケが「何を言ってんだコイツ…?」「オレを守る…?…まもる…???」「…真実……だと…?」と途切れ途切れに言ったあたり、サスケの目が「瞳孔、光に反応せず!縮小して固定!(@「ER 緊急救命室」)になりかけてませんでしたかひええ。
あ、その後「拘束」されたってのも、「ER」っぽいな。
シカゴ・カウンティ病院は、流石に、マダラの隠れ家ほどボロくはないが……ってここまで書いて気づいた、今サスケが寝かされている場所ってどこ?
あれ、木ノ葉の里の中ですよね?
ってことは、木ノ葉の里の中に、マダラの隠れ家がある!?
それも、傷病者を連れてきて療養させることができるほど、ある程度は設備が整っている隠れ家が!?

うーん、原作での「アスマ班VS飛段&角都」の時も言われてましたが、「里の隅々にまで目が行き届かない」ってのはやっぱり見過ごせない大問題みたいだなー……火影は大変だな(@綱手)。


さて、サスケは、「…あいつは…イタチは敵だ…(中略)あいつは憎むべき存在だ…」とうわ言のように言ってますが、やっぱり、「復讐を成し遂げた」という達成感よりは「執着していたものを失った」という喪失感のほうが、よっぽど大きいはずだよなー。

私はWJ20号の感想で、
<サスケにはいつの間にか、「自分が追っている相手は、憎んで然るべき凶悪事件を起こした人間なんだ(←少なくとも、サスケの認識ではそうであるはず)」ということすら忘れてしまうような瞬間も、訪れるようになったんじゃないでしょうか?
執着の強さ激しさのほうがものすごくなるあまりに、その執着の内容が何だったのかが霞んでしまって。>

などと書いていたんですが、あれ、(私が書いたことにしては)けっこう当たってたかも。

サスケはナルトに、「復讐さえ叶えばオレがどうなろうが この世がどうなろうが知った事じゃない」って言ってましたが、「知った事じゃない」ってよりは「考えたくない」ってことだったんだろうな。
復讐を終えた後の人生設計まで堅実に考えているような状態だったとしたら、そりゃ「復讐」というおどろおどろしい言葉では呼ばれないだろうからなあ、フィクションの中では特に。
やっぱりサスケ、本当に叶えたかったことは、「イタチへの復讐」じゃなく、「イタチとの心中」だったんじゃないか、と思えてならない……。

今頃になって気づいたんですが、WJ17号で、倒れる前のサスケの顔に微かな笑いを浮かべさせたのは、イタチを倒したことへの満足感ではなく、相討ちになれた(なれそうだった)ことへの満足感だったのかも。


サスケの回想に登場しているイタチが、何だかすごく年相応で、あどけなささえ感じさせました。
ひたすら大人っぽいイメージのあったイタチですが、サスケの記憶にいちばんはっきり残っている「許せサスケ…また今度だ」と言って「サスケの額をトン」としていた頃のイタチって、第1部でのサスケやナルトと同い年くらいだったんですもんね。

マダラに「…思い出せ」「お前の優しかった兄を…」と言われてパニックを起こしかけているサスケを見て、マダラのことをぶん殴りたくなった私ですが、いや待て、マダラに言われなくても、サスケはいずれ「優しかった兄を思い出して苦しむ」って試練には遭わなくてはならなかったと思います。
ただいかんせん、あまりにも直後すぎないか、とはやっぱり思いますが。

そして、サスケがその試練を乗り越えた先には、こういう状態になっているかもな、というか、乗り越える時が来て欲しい、という気持ちで書いたのが、ちょうど1ヶ月前のこの記事(瞳をとじて、誰を思う?)です。


マダラの「悪いが拘束させてもらった」の言葉の通りに、ロープでぐるぐる巻きにされているサスケですが……。
サスケってば、アニメの「ゆうあっまいっ!」の時のオープニングで蛇にぐるぐる巻きにされていたことといい、WJ10号でイタチに左手首掴まれて「光をもらう」と言われていたことといい、少し前のアニメで大蛇丸にやっぱり左手首掴まれて「その術は止めておきなさい…サスケ君」と言われていたことといい、最近めっきり「拘束されキャラ」ですね。

しかしマダラ、サスケに何か羽織らせてやってくれ……ただでさえ雨に打たれて冷え切った後なんだぞ……。
それから、咳き込んでいる傷病者の顎を掴むな!
口の中を噛む危険があるだろうが!
医療忍者サクラに、怪力で張り倒されるぞ!
(サクラ、「乱れた髪のまま、上半身に包帯を巻かれた姿で、マダラに顎を掴まれるサスケ」を見て、「キャーッ!! そう来るのォォーッ!!」とか言うなよ(笑)。いや、私は一瞬思ったものでゲホゲホ。

マダラ、咳き込んでいる傷病者には、背中をさするのが基本中の基本だぞ!
(いや、でも「サスケの背中をさするマダラ」って、それはそれで嫌かもな(笑)。)


「お前は信用出来ない」と言うサスケに「オレの話を信じるかどうかはお前が決めればいい」と言い返すマダラですが、マダラのこの言い方、「マダラは生きている 信じる信じないはお前次第だ」と言ったイタチの物言いに、何だか似てませんか?
イタチとマダラって、かつては相棒だったのか師弟だったのかは知りませんが、随所随所で言葉遣いが似ているのが若干引っかかるところだ。


WJ19号あたりからのサスケって、半狂乱になったり、ハアハア息を切らしたり、うわ言を言ったり、ゲホゲホ咳き込んだり、再び意識を取り戻して捨て鉢になったりしてますが、このあたりのサスケって演じ甲斐があるだろうな杉山紀彰
マダラに手当てされて目覚めたあの隠れ家は多分、どこかの洞窟の中なんでしょうが、きっと音がよく響く場所なんでしょうね。
エコーが効きまくった音響設定でサスケのあの数々の台詞が聴けるのが、今から楽しみで仕方がない!
それまでは絶対続いてくれテレビアニメ!
私も、劇場版は映画館で観るようにするし、スポンサー企業の商品はできるだけ買うし、受信料も払い続けるから!(←混乱している)


うーむ、「その2」で終わるかと思ったが、まだまだ終わらない。
本当に、マダラの昔話並みに長くなったらどうしよう(笑…えなくなってきた)。


WJ23号『NARUTO』第398話「木ノ葉のはじまり」の感想。(その1)に戻る

WJ23号『NARUTO』第398話「木ノ葉のはじまり」の感想。(その3)に進む



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気がつけばGWなんですね。

今日(4月29日)は昭和の日でした。

冬物の服をクリーニングに持っていこうと思っていたのに、行きそびれた。
GW明けまでには持っていかねば。

服といえば、いかにも「春物!」って感じの服を、やっと買いました。
ここのところ、「一年じゅう着られるような、黒や紺やグレーの、家で洗えるカットソー」ばかりが増えていたからなあ……。
「同じものを2着以上買って、同じコーディネートで着る」って、ハイソでセレブな人たちがけっこう使う手だそうですが、私のような、ハイソセレブとは真逆のポジションにある者にとっても、その手は非常に便利だということに、最近気づきつつあります(ってそれはただ単に不精になっているだけ、の可能性が極めて高い(笑))。

自戒を込めつつ、好きな西村玲子さんのイラスト入りエッセイを載せてみます。

おしゃれの曲がり角おしゃれの曲がり角
(2005/02)
西村 玲子

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おしゃれの賞味期限おしゃれの賞味期限
(2003/09)
西村 玲子

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WJ22・23号『NARUTO』第398話「木ノ葉のはじまり」の感想。(その1)

私はここ数ヶ月、WJを買うと、巻末に載っている作者のメッセージを真っ先に読むのですが、この号の岸本氏のメッセージは、

「忍者マンガを長年描いてきて、最近、忍者マンガっぽくなくなっている気が…。後戻り出来ません。」

でした。

作者の意気込みを感じ取れる言葉とも、作者が感じている重責を滲ませている言葉とも、両方の意味に受け取れました。
どちらにしても、作家さんには常に「覚悟」ってものが求められるもんなんですね。
優れた作品ってのは、作者の手の中から強い遠心力をもって、常に常に、外へ外へと飛び出そうとしているのと同時に、作者へ向かって、これも常に常に、全体重をかけて体当たりをしてくるようなものなのかも。


――って、本編を読む前から感慨モードに入っている場合ではないのだった!


今週の見開きカラーに添えられたコピーは、

「災禍(わざわい)を虜囚(とりこ)にする鎖(ちから)。
その一族を伝説たらしめた瞳は断ち切れぬ連鎖の中に。」


……って、難解で、1回読んだだけじゃ意味がわからーん!(笑)


サスケ、また服のデザイン変わった?
うちはマークも大きくなった?
サスケの服ってだんだん、和装なのか洋装なのかわからなくなってきたな。

サスケはイタチとの対決の中で、トップスはどこかへ吹っ飛んでしまいましたが、あの見開きページの半袖・スタンドカラーの白いトップスって、マダラが用意してあげることになるものなのでしょうか?

しかし、サスケの今のボトム(裾を絞った袴)って頑丈にできてるよなー……大蛇丸との対決、デイダラとの対決、イタチとの対決を経てなお換えられた形跡はないしなー。
あ、それともサスケ、ボトムのあの形が気に入っていて、新調するたびにわざわざ同じ形のものをオーダーしているのか?(普通に考えればこっちか。)


さて本編ですが……。
マダラの言うことが、どこまでが本当どこからが嘘なのかはとりあえずおくとして……(って、それをとりあえずおいてしまったら、この号の感想を書く意味ってほとんどなくなるのかも知れませんが、それでもなお書いておかなくてはならない! それが私の義務だ!)。

「死人に口なし」路線でこうも堂々と押してこられると、若干ムカつくものがあるんですが!

だってマダラが今やっていることって、結局は「自分にとって都合の悪いことは全部、その場にいない奴のせいにする」ってことじゃありませんか?
あのうちは一族の創始者が、そんなことをするコモノでいいのか!?

あ、でも、それをいうなら、かつてのネジに対するヒアシだってそうだったじゃないか……と古い記憶が一瞬頭をよぎったのですが、ヒアシは「いや お前は聞かなくてはならない! それがお前の義務だ!」なんて態度はとってなかったからな。
ヒアシは最終的に、自分より明らかに目下で格下のネジに、土下座までしていたし。

とにかく、「自分にとって都合の悪いことは全部、その場にいない奴のせいにする」ってのに似たようなことが、私のかつての職場で横行していて、それにムカつきまくっていた頃の記憶が蘇ってきてしまいましたよキーッ……(落ち着け落ち着けカームダウン。それに、私のかつての職場情報など、どこからも求められていない)。


しかし、マダラの物言いにムカつく一方で、「死人に口なしでも後出しジャンケンでも何でもいいから、この人に関する情報をくれー!」と思わせるものを、イタチは今でも持っていて、そして「マダラはもしかしたら、本当にイタチ情報を何か持っているのかも知れない」とも思わされるってあたりが憎いところだ……結局ノセられてるんですよね私……前段での怒りやムカつきはどこへやったんだ私……(笑)。
他に「後出しジャンケンでも何でもいいから」みたいに思わされるのって、四代目火影くらいしかいませんよ……。

それに、マダラがいくら「死人に口なし」路線で押そうとしたところで、イタチは当然それを予想していただろうし、それに対する策も講じていた(いる)はず。
(「サスケに“天照”を仕込んだ」以外にも。)
それが今後、どこかで現れてくれるといいんですが……。

うーん、サスケや初代火影についても書こうと思ってたんだけど、長くなりそうなので「その2」以降にしよう。
(マダラの昔話並みに長くなったら笑えるな(笑)。←マダラの昔話を「長い」と決めつけている(笑))


WJ22・23号『NARUTO』第398話「木ノ葉のはじまり」の感想。(その2)に進む


テーマ:NARUTO - ジャンル:アニメ・コミック


よき事の目にもあまるや2008。(その4)

今日(4月28日)は下弦の月でした。

暖かいのを通り越して、暑くなりつつなりますねえ。
私も今日は、この春初めて、春物のコートなしで仕事に行きました。

ノースポール2008春。


ノースポールって、一斉に咲いた様子が、雪が敷き詰められているように見えるので、この名がついた、とか。
この花って、いちど咲いた後、夜になると閉じ、朝になると再び開くようなのですが、閉じている夜のほうが、花の中心の黄色い部分が隠れて、より「雪が敷き詰められているようだ!」って感じがします。

いちど咲いた後も、閉じたり開いたりを繰り返す花って、温度に反応して開閉する花と、光に反応して開閉する花があるそうなのですが、ノースポールってどっちなのかな。
確か、チューリップは温度に反応し、タンポポは光に反応する、と聞いたような気がするのですが。

そういえば、推理漫画で、「写真に、この時間帯には咲いているはずのない花が写っている」ってことが決め手になって、殺人事件の真犯人がわかった……みたいなのがありませんでしたっけ?
あれ、逆だったかな?
「咲いているはずの花が咲いていない」だったかも……(って、花の記事を書いていて、何で「殺人事件の真犯人」の話になるんだろう(笑))。




What I Like About サラネオ。

「サラリーマンNEO」を途中から見たら、エンドクレジットに「ナレーション 小山力也」と出ていてびっくり!
「大河内透」のコーナーだったのでしょうか?

いや、シーズン1の「大河内透」の時のナレーションは小山力也だったから、落ち着いて考えればそう不思議ではないんだけど、シーズン2でナレーションはなくなっちゃったし、復活するとは思ってなかったから。

それに、小山力也のブログはチェックしているつもりだったけど、「大河内透」のコーナーのナレーションのことは書かれていなかったような気がするんですが……。
アニメのアフレコの記事、外画の吹替えの記事、イベントの出席レポートなど、書かなきゃいけないことが多くて、僅か数分のナレーションのことまで書いていられないのかな?

でも私はあの「大河内透」のコーナー、ナレーション込みで大好きなんだ……シーズン1の時の終盤のナレーションなんて、本当におかしかった……。
確か、「どうするんだ、大河内!? あと2回しかないぞ、本当に終わるのか、大河内!?」とか何とか、そんなナレーションだったように記憶しているのですが、声のトーンはものすごく面相臭そうな、嫌そうな、投げやりなトーンなのに、声そのものはメチャメチャ二枚目ボイスだというギャップが最高に笑えた……あー思い出したらまた笑いが……。
小山力也は、ブログのサイドバーの「主な出演作」のところに、「サラリーマンNEO(ナレーション)」と追加するべきだ!(笑)


「サラリーマンNEO」のシーズン1のDVDは、これ↓です。(「大河内透」が登場するコントのタイトルは、「Re:」でした。)

サラリーマンNEO Season-1 DVD-BOXサラリーマンNEO Season-1 DVD-BOX
(2006/10/18)
入江雅人、奥田恵梨華 他

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サラリーマンNEO Season-1 DVD-BOX IIサラリーマンNEO Season-1 DVD-BOX II
(2007/03/21)
TVバラエティ、生瀬勝久 他

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今日は途中からしか見られませんでしたが、再放送では「大河内透」のコーナー、最初から最後までしっかり見る(聴く)ぞ!
(このブログにもそろそろ「サラリーマンNEO」というカテゴリーを設けるべきか、本気で検討し始めよう(笑)。)




アニメ「NARUTO疾風伝」第53話「題名(タイトル)」(木ノ葉芽吹く!NARUTO疾風伝スペシャル前半)の感想。

4月になってから「NARUTO疾風伝」の感想をまだ1回も書いていないということは自覚していたし、そうなった理由もわかっているが(しかもこの状態はしばらく続きそうなんだ(汗))、それについて言い訳がましく書くのは後回しにして、アニメの感想を書くぞ!

この「ナルトとサスケ、再会、そして再びの別離」というエピソードって、アニメになったものを観て以来「これ、ずっと前に、似た感じのエピソードがなかったっけか?」というような、妙なデジャヴを感じていたのですが、それがどのエピソードだったのか、わかりました。
「中忍試験の終盤の、三代目火影と大蛇丸の戦い」です。

どこが似ていたのかというと、「ナルトサイドにとって、つらくて悲しい、絶望的にしか思えないストーリーが、明るい日の光の下で、容赦なく進む」という点が、です。

「三代目火影VS大蛇丸」で、大蛇丸が初代火影と二代目火影と四代目火影の棺桶を口寄せし、明るい日の光に照らされた屋根の上に三つの棺桶がドーンと現れたあのシーンは、今の時点の私にとっては、アニメ「NARUTO」シリーズの中で、本気で不気味さと怖さを感じて震えそうになった、唯一のシーンです……原作では、そこまでの不気味さも怖さも感じなかったんですが。

今回の「ナルトとサスケ、再会、そして再びの別離」のエピソードでもやっぱり、ナルトのショックや絶望感や無力感がより強く感じられるのって、「サスケのバックに見える青い空」とか「サスケの髪や服が風にそよいでいるところ」とか「サスケたちの姿が消えた後、風が吹いて雲が流れているところ」とか、その場にいる人間たちの緊迫感とは無関係な、のどかな部分でした……。


サスケがナルトに言った「子供のままだな…ナルト」という言葉は、サスケにとってはバカにしたつもりの言葉なんでしょうが、ナルトはあんまりピンと来てないみたいですね。
また実際、「復讐に突っ走る」ことが「子供じゃない」ことの表れなのかといえば、そうではないだろうし。

あー、でも「子供」って言葉を、「innocent」と解釈すれば、「子供のままだな…ナルト」って言葉は当たってるかもな。
よくアメリカの文学作品のテーマになってる「end of innocence」ってフレーズを思い出してしまった。

サスケにとっての「end of innocence」は、一族が皆殺しに遭って兄イタチが出奔した時だったのでしょうが、ナルトにとっての「end of innocence」らしい時は、この再会の時だったのかも。
この再会の時まで、ナルトの頭の中では、「サスケは大蛇丸に拉致された」みたいな認識になっていて、「サスケは自分から進んで大蛇丸のもとへ行った」って面も確かにあった、ってことはきれいさっぱり忘れられていたような感じだし。
(まあナルトはこの後にも、「きれいさっぱり忘れていた」としか思えないことを言うんですけどね(笑)。
ちなみにサクラにとっての「end of innocence」は、サスケの里抜け直前に引き止めようとしてそれが叶わなかった、あの時だと思います。)


あー、もう一つ、「子供のままだな…ナルト」といえば……。
小学生くらいの子供って、男の子でも女の子でも、友情と恋情の区別がついていないようなことがよくありませんか?
同性の仲良しの子に対して、独占欲みたいな気持ちを持ったり、誰か他の子と一緒に遊んでいるのを見て嫉妬したり、「大人になってもずっと一緒にいよう、困ったときには必ず助け合おう」と誓い合ったり、みたいなことが。
ナルトって、小学生くらいの年齢の頃は、そういう友達を持てなかったから、アカデミーを卒業して第七班で出会ったサスケ1人にそういう気持ちを初めて持ち、今も持ち続けているのかも……そういう意味でも、「子供のままだな…ナルト」って言葉は正しいかも……。

そしてサスケが「こんな命、いくらでもくれてやる」と言った後のナルトの表情が、本当に「信じられない言葉を聞いて大ショックを受けた」って感じで、観ていて心が痛んだ……。
(ついでに書けば、サスケが話している間、ヤマトの左胸から伸びた棒がスススイと縮んでいく動きが、何だかちょっとだけ笑えた。)


あと、前にも書きましたが、サスケがサイの術を振りほどいたり、「なァ…ナルト」と言ったりしたあたりから、やっぱり大蛇丸は、物陰に隠れて、一連の流れを盗み見・盗み聞きしていたと思います。

そして、今回のオンエアを観て、「大蛇丸が盗み聞きしていることを、サスケは感づいていたんじゃないだろうか」とも思いました。
だってサスケがナルトに言った一連の言葉って、妙に理路整然としていて、「昼寝中に叩き起こされた不機嫌な状態で、場当たり的にテキトーに言った」って感じはとてもしませんでしたし、そもそも相手4人をこれから殺すつもりなら、その中の1人であるナルトに、自分の現状をあんなに詳細に説明してやる必要なかっただろ、って気もしますし。

更に、「サスケに感づかれているということを、大蛇丸も承知していた」んだと思います。
このずっと後、サスケが大蛇丸の部屋に押し入った時、大蛇丸は「やっぱり……そう来たわね」と言ってますし。
ナルトたちが大蛇丸のアジトに踏み込んだこの任務の時点で、サスケと大蛇丸はもうかなり一触即発の状態だったんでしょうね。


サスケが、印を結ぶ前に剣を地面にグサッと刺すところや、姿を消す前にその剣を鞘に収めるところ、どちらもアニメ新設のカットでしたが、かっこよかった!
考えてみたら、片手に剣を持ったままでは、印を結ぶことはできませんもんね。
アニメでのこういうきめ細かいアレンジは嬉しい。

カブトの姿を見たヤマトが「チッ」というような顔を一瞬していましたが、あれって、「自分の木分身が消えてしまったことへの苛立ちや無力感」の現れですよね。
アニメでは、ヤマトのこういう心理描写を、随所随所で細かくやってくれてると思います。

サスケの「情けない理由だな」という台詞、カブトに言ったもののような気がしていたのですが、アニメで聴いたら、サスケが自嘲を込めて言ったものでもあるような感じがしました。
そして、「情けない理由」であろうが何だろうが、ナルトたちを攻撃しないで済む理由が見つかって、サスケはほっとしたんだと思いたい……頭のどこかで、心のどこかで、チラッとでもいいから、もう無意識レベルでもいいから、サスケはほっとしたんだと、私は思いたい(涙)。

大蛇丸が「行くわよ」と言った後、大蛇丸、サスケ、カブトの3人は一瞬で消えたような印象があったのですが、アニメでは、あんなに時間をかけて、ゆっくり消滅してましたね。
あの時間の長さ、ナルトには酷だよなあ……。
でも、最後までサスケがナルトから目を逸らしていなかったのが、僅かな救い……と思うことにします(また涙)。


ナルトがここに至るまで「サスケは今の境遇に、ひとまずは納得している、満足している」ってことをあそこまでわかってなかったのはなぜだったんだろう、と思ったのですが、それは、「サスケと大蛇丸を同時に見る機会がなかったから」かもな。
ナルトは「大蛇丸とサスケが、至近距離で馴れ合っている」みたいな光景を見るのは初めてだったし、それはナルトにしてみれば「信じられない光景」「認めたくない事実」だっただろうし……。
しばらくその場に泣き伏してしまうほどのショックを受けるのは当然だ。

あー、あと、細かい点ですが、サイに「僕は結構強いからね」と言われてナルトが言った「ありがと……」という台詞は、コミックスでは「…ありがと…だってばよ…」なのですが、更にこの台詞、WJ掲載時は「…サンキュー…だってばよ…」だったんですよね。
コミックスではなぜか日本語に変更されていました。
何で?


火影の執務室で、綱手が4人を前に「そうか……」と言った後、いきなりカメラが切り替わって、木ノ葉病院のカカシと自来也が話しているシーンになったのには、けっこうびっくりした(笑)。
綱手とナルトたちの会話がちょっと増やされてるかな、と思っていたのですが、綱手が「そうか……」と言っただけだったからな。

カカシの服が、「ノースリーブ」ってより「アメリカンショルダー」になってなかったか?
原作に比べて、ずいぶん露出度が上がっていたような……原作では、もうちょっと肩先寄りまで布が覆ってたぞ……。
そういえば、カカシ役の井上和彦は、GWに出演する舞台で、「脱ぐシーン」があるそうですよ(笑)。

それから、(いくらナルトに関することとはいえ)この病室のシーン、自来也が喋り過ぎじゃないか?(笑)
そもそも自来也、天地橋の任務の顛末についてのあそこまで詳細な報告を、いつどこで聞いたんだ。
あれじゃ、後で報告に行くことになっているヤマトの立場がないじゃないか。
私は、「ヤマトがカカシの病室を訪ねて、あれこれ報告するシーン」がもしかしたら新設されてるかな、と思っていたのですが。


その立場のないヤマトですが、ナルト、サクラ、サイを帰らせた後、1人だけ残って、綱手にいろいろ報告してましたね。
でもあそこでは、暗部リストの入った封筒(ダンゾウから大蛇丸への手土産としてサイが持たされていた)だけじゃなく、同じくサイが持っていたビンゴブックも出すべきじゃ?と思ったのですが、考えてみたら、ビンゴブックのほうは封筒と違って、曖昧な点が多いんですよね。

「ビンゴブックのほうは、サイが最初から持たされたものじゃなく、大蛇丸のアジトに入ってから自分で口寄せしたものだ」ってことを、ヤマトは知らないんですし、「封筒同様、最初から持たされていた」と誤解している可能性は高いし、少なくとも、原作でその誤解が解けた描写は今のところないですし。
そういう曖昧な点が多いアイテムだから、アニメの新設シーンでは使われなかったのかなあのビンゴブックは。
(それにそもそも、アジトに置いてきてしまった、って可能性もあるしな。
原作では、封筒のほうもビンゴブックのほうも、カカシ班の誰かが回収したって描写はなかったし。)

綱手「今すぐだ!」、シズネ「あひぃぃ!」、ヤマト「あっははは…」のシーンには、本気でちょっと和んでしまいました(笑)。
そういえば、綱手に対するシズネの立場と、カカシに対するヤマトの立場って、何だか通じるものを感じます。

綱手の「先ほどのサイの申し入れ、慎重に考えざるを得んな」という台詞が新設されていましたが、ってことはサイ、あの場で「この名のまましばらくカカシ班に身を置かせては頂けないでしょうか…」と頼み込んだのか。
ああいうときって普通、出向先に申し出るより早い段階で、出向元にまず希望を言うのが筋じゃないのか?
あ、忍者は出向労働者じゃないから、別にいいのか、そんなことは。

そんなことより、あの場で申し入れたということは、それをナルトもサクラも聞いてたってことですよね?
2人は、それを意外に思ったりしなかったのかな。

出向元といえば、原作をよく読めば、サイがダンゾウに復命にしに行った時にダンゾウは「その話なら綱手からも受けている」と言ってるんですが、ダンゾウ、綱手から、いつ「その話」を聞いたんだ。
天地橋の任務の顛末については、その任務に就いていなかった者たちが、あまりにも早い段階で詳細まで知っていて、「この人、いったいいつ誰からそんな詳しい報告を聞いたんだ」と思うことが多すぎだ(笑)。

サイの部屋についてですが、(前にも書きましたが)広いだけじゃなく、キッチンの設備が充実してるようで羨ましい。
オーブンに、強力な換気扇まであるみたい。
きっと、あのオーブンで、塊肉のローストとか、時間のかかる料理を作っている間、絵を描いて待っているんだろうな。
私は大きな冷蔵庫と食器洗い機が欲しい。(←関係ない)


そしておまけコーナー。
今回はおまけコーナーだと、クレジットが出るまで気づきませんでした
てっきり、ナルトたちが「次の任務の打ち合わせ」を終えて、ナルトが自室に戻ってきた時のシーンを、時系列で新設したんだと思いました。
でも、ナルトがリュックをベッドの上に下ろしたのを見ると、綱手の執務室から自室へ帰ったところだったんでしょうね。
2週間ぶりくらいの帰宅かな?
それにしても、「ナルト、サスケ、サクラ、カカシ」の4人が同じシーンで言葉を交わすって、いったいいつ以来なんだろう。
短いシーンでしたが、「竹内、杉山、中村、井上」の正真正銘の共演が久しぶりに聴けて、嬉しかったですよ。

そして、「四代目火影、カカシ、オビト、リンの集合写真が撮られた時も、あんな感じの小競り合いがあったりしたのかな」などと、ふと思いました。
ナルトとサスケをなだめるカカシが、カカシ外伝でカカシとオビトをなだめていた四代目にちょっと重なって見えてしまって。
ただでさえ泣きそうになったおまけコーナーだったのに、カカシ外伝のことまで思い出して、更に泣きそうになったのでした(涙)。


アニメ「NARUTO疾風伝」第52話「うちはの力」(サスケ登場!激動のNARUTO疾風伝スペシャル後半)の感想。に戻る

アニメ「NARUTO疾風伝」第54話「悪夢」(木ノ葉芽吹く!NARUTO疾風伝スペシャル後半)の感想。に進む



テーマ:NARUTO - ジャンル:アニメ・コミック


日常的な金曜日と、変則的な土曜日の、そのはざまで足掻くワタシ。

日付が変わる少し前頃に帰宅できました。
この時間帯の帰宅なんてのは、外で働いている人間にとっては全然珍しくないと思うのですが(特に休日の前の日はね)……。

問題は、明日の午前中(というか、そこそこ早朝)に、ご近所一帯で行われる一斉清掃みたいな行事があり、私もそれに参加しなきゃならない、ということだ。

今日の夕方から夜にかけてその準備をしようと思っていたのに、すっかり予定が狂った。
こりゃ徹夜で準備かな……昨日もあんまり寝てなくて、今日も「眠眠打破」飲んで乗り切ったんですけど……(涙)。

おまけに、明日は、午後から夕方にかけて、また出かけなくちゃならない用事があるんですけど……あーどうしよう……もう取りやめにして、家で寝てるか……その用事のための準備もまだしてないしな……あーあー……(何だこのひとりごと愚痴記事は(笑))。




意外な来訪者がテレビ画面から!(驚&笑)

帰宅して何気なくテレビをつけたら、「きよしとこの夜」に、神谷明日高のり子が出演していてびっくり!
「声の出演」だけじゃなく、ご本人たちの姿込みで、の出演でした!
2人とも、トークだけじゃなく、歌まで歌ってましたよ!

日高のり子のほうは声を聴くまで誰だかわかりませんでしたが、神谷明のほうは顔を見ただけでそれとわかったのはなぜだろう(笑)。

日高のり子といえば、世間的にはやっぱり「タッチ」の浅倉南役で有名な人なんでしょうけど、このお方の出演作品のうち、私の記憶に強く残っているのはこれ↓。
(画像はなかったが、クレジットは出た。制作されたのはもう20年以上なのか。再度びっくり。)

バオー来訪者バオー来訪者
(1984/06/25)
堀秀行、日高のり子 他

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今調べたら、この「バオー来訪者」で橋澤育朗を演じた堀秀行って、井上和彦と生年月日がすごく近いんだな。(堀秀行が3日早い。)
他の作品でも、アニメで堀秀行が演じた役には好きなキャラが多かったのですが、それとは別に私が密かに好きだったのは、TBSの「スポーツチャンネル」での軽快なナレーションでした……(ってマニアック過ぎる(笑)。おまけに世代が知れる(汗))。


さて、上の「バオー来訪者」の原作はこちら↓です。

バオー来訪者 (集英社文庫―コミック版)バオー来訪者 (集英社文庫―コミック版)
(2000/06)
荒木 飛呂彦

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『ジョジョの奇妙な冒険』については、けっこうどこへ行っても話題の合う人がいるんですが、この『バオー来訪者』のほうはそうはいかないことが多く、それが寂しくもある一方で、ちょっぴり誇らしくもあったりして……(笑)。

あーそうだ、「荒木飛呂彦センセイのアシスタントをしていたことがある」ってお方と飲み会でご一緒させていただいたことがありまして、そこで聞いた話はすんごく面白かったのですが、それはまた別の機会に書けたら書くことにしよう。




WJ20号『NARUTO』第397話「真実を知る者」の感想。(その6)〜「…○○○は生きている。信じる信じないはお前次第だ」。〜

この「真実を知る者」の回の感想も、そろそろ締めに入ろう。
1週分の感想を「その6」まで書いたのは初めてだな。(長げー!)


この「真実を知る者」を読んで、今現在及び今後のイタチ……というより、この作品の完結までにおけるイタチの位置づけが、ぼんやり見えたような気がしました。
いや、「見えた気がした」ってより、「こうあって欲しい」「こうあってくれ!」「後生だからこっち路線で行ってくれ、頼む!」という、願望というべきか切望というべきか悲願というべきか(笑)。

でも本当に、12号遡ったWJ8号で、イタチはサスケに「…マダラは生きている。信じる信じないはお前次第だ」と言っていましたが、今週のマダラの台詞を読んで私は、…イタチは生きている。信じる信じないはお前次第だ」とは思いました(って、「お前」って誰よ(笑))。

ちなみに、「イタチは生きている」と思うヒントになったのは、一つは映画「ポネット」、もう一つは島田雅彦の「無限カノン」3部作の最終巻である『エトロフの恋 (新潮文庫 し 29-12 無限カノン 3)』です。
イタチが、額当てとかネックレスとか指輪とか、身に着けている小物が多い、ってところもヒントかな。


ところで、今後、サスケ及びナルトの敵役って、が務めることになるんでしょうね。
ペインは健在のはずですが、読者にとっては「いたな……そんな奴も」的な位置づけになりかけてますし(とか私が書くと次の号で出たりするんだけどな(笑))、長きに亘ってナルトの最強の敵だった大蛇丸がもし出てきても、「今更」感は否めないだろうし、イタチは敵じゃなかった、マダラも「見るからに敵」って感じはしない、となると、いったい本当のいちばんの黒幕は誰なんだよ、という気が一瞬したのですが……。

いや待て、この『NARUTO』という漫画は意外と、「強大な敵なんてどこにもいなかった」みたいなオチになるんじゃなかろうか、という気もしてきました。
「敵には敵の事情がある」ってことに思いを致していけば、最終的にはそういうことにもなりかねないと思うのですよ。

(「サスケ及びナルトの敵役は誰になるのか」ってことについては、「まさにこの2人が、再び対決する展開になるんじゃないのか」という気も、するんですけどね。
そして、そう思うようになったきっかけは、例の「木ノ葉学園」だったりするんですけどね(笑)。)


今更ですが、イタチは幼年サスケの額を「トン」としていた頃から、「いずれオレの最期の瞬間には、こうやって、オレの力はこいつに受け継がせよう」と思っていた、ってことなんでしょうかね。
「その時が来るまで、あと何度こうしてこいつに触れられるのか」とか、「こいつがこんな嬉しそうな顔をオレに向けるのも、あと何回だろう」とかも……。
ぐああ泣きそうだ……(号泣)。


WJ20号『NARUTO』第397話「真実を知る者」の感想。(その5)〜「イタチ」という名前についての小ネタをば。〜に戻る

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今週の遡及コーナー。
(21号は休載ですが、その次の号は多分、4月28日発売の22・23合併号ですよね?
これがGW前の最後の号で、24号が出るのは、GW明けの5月12日だと思われます。
それでもって、この24号が巻ノ43の最後に来る話になるはずなんですよ(と私設タイムキーパーの独り言)。

この作品、毎年48号か49号は休載になるのが通常のリズムなんですが、21号が休載というのは変則パターンだったので、このコーナーのネタ、2週分まとめるのが大変だった。
このコーナー、いつもは割と余裕をもって書いてるんですが、ストックがないときに限ってこういうことになるんだよなー(って、私の愚痴はどうでもいい)。)

1年前(2007年)のWJ20号でのサブタイトルは「衝撃の報せ…!!」でした。
サクラがナルトの家を訪ねてきて、カップラーメンを啜りながらナルトが現れ、この2人が綱手と自来也から「大蛇丸が死んだ」と知らされ、一方で重吾が「ビンゴ!殺す!!」と叫びながら全貌を現した回です。
(掲載巻は→『NARUTO 巻ノ39 (39) (ジャンプコミックス)』。この巻の最初に載ってます。)

見開きカラーページで、ナルトがひとコマずつ「う・ず・ま・き・ナ・ル・ト・だ・っ・て・ば・よ・ヨ・ロ・シ・ク」と区切って名乗っていた回でもあります。
おまけコーナーでもいいから、アニメであの見開きやってくれないかな……竹内順子の声と演技で、あのナルトの台詞を聴いてみたい……!

1年前(2007年)のWJ21号でのサブタイトルは「男との対話!!」でした。
水月と重吾が小競り合いを繰り広げ、サスケに「お前ら…オレに殺されたいのか?」と凄まれて制止された回です。
(掲載巻は→『NARUTO 巻ノ39 (39) (ジャンプコミックス)』。)

香燐がモノローグで「た…たまんない…サスケェ…」と言って悶えていた回(笑)でもあります。
原作でこの香燐を見た時は、率直にいって「何だか不自然な言動のキャラが出てきたな」と思ったのですが、今思うと香燐って、「第2部のサスケの言動を見た女性読者は、こんな風に心の中で、『た…たまんない…サスケェ…』とか何とか、そういうことを思って悶えるであろう」と見込まれて、それを代弁する者として出されたキャラだったのかな?(笑)


2年前(2006年)のWJ20号でのサブタイトルは「サイの裏切り!!」でした。
ナルト&サクラ&ヤマトが、サイをアジトの外へ連れ出し、ナルトが大蛇丸のことを「腕がもがれりゃケリ殺す(以下略)」と笑顔で言い切った回です。
初代火影とヤマトのツーショットが扉絵だった回でもあります。
(掲載巻は→『NARUTO (巻ノ34)』。)

2年前(2006年)のWJ21・22号でのサブタイトルは「裏側の裏側!!」でした。ナルト&サクラ&ヤマト&木遁でぐるぐる巻きのサイの前にカブトが現れ、そのカブトがサイに拘束されてぐるぐる巻きにされ、ナルト&サイ、ヤマト&サクラが二手に分かれてアジトの中を駆け回り、サイが絵本の最後の見開きのページを完成させたところへ大蛇丸が現れた回です。
(掲載巻は→『NARUTO (巻ノ34)』。)


3年前(2005年)のWJ20号でのサブタイトルは「立ちはだかる者たち!!」でした。
ガイ班VS鬼鮫(の偽者)、ナルト&サクラ&カカシ&チヨバアのトーク、“一尾”の封印儀式のシーンの後、ナルトたちの前にイタチ(の偽者)が現れた回です。
(掲載巻は→『NARUTO (巻ノ29)』。)

3年前(2005年)のWJ21・22号でのサブタイトルは「カカシの経験値」でした。
カカシ班サイドでは、チヨバアがナルト、サクラ、カカシに、「一対一なら必ず逃げろ」と言い、カカシがイタチに「お前の視力……どこまで落ちてる?」と問いかけ、一方、ガイ班サイドでは、ネジ、リー、テンテンが、鬼鮫の“水牢の術”に捕まった回です。
(掲載巻は→『NARUTO (巻ノ29)』。)


この遡及コーナーも、この回の分は長げー!(笑)


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WJ20号『NARUTO』第397話「真実を知る者」の感想。(その5)〜「イタチ」という名前についての小ネタをば。〜

我ながら重めの感想ばかり続いたので、ちょっと息抜き的なものも書いてみます。

マダラは「イタチの最後っ屁ってやつだな…」なんて言ってますけど、それを読んで思い出したことがあり、またこのDJCD↓を載せてみます。
(私がこのCDを買ってからは確かまだ3週間も経っていないはずなんですが、その3週そこらの間に、私は何回載せてるんだこのCD(笑)。)

ラジオDJCD NARUTO RADIO 疾風迅雷 2ラジオDJCD NARUTO RADIO 疾風迅雷 2
(2008/01/23)
ラジオ・サントラ、石川英郎 他

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このDJCD↑の中で、イタチ役の石川英郎は、「(TIMの)ゴルゴさんははいつでもどこでも屁が出せるらしい」などと、嬉々として語っているのですよ(笑)。
他にも、「鼻毛の手入れは家でしたほうがいい」とか、「最近、吹き出物ができて困っている」とか、そんな話をエンエンしていて、そういう生々しい身体ネタが好きなのかなこの人(笑)。
読者・視聴者としては、役と役者は別物だ、と頭ではわかっていても、「この人が、あのクールビューティーなイタチを演じているのか」と思うと……そして、「本当に…強くなったな…サスケ…」というあの泣かせる台詞を言うのかと思うと……ああ何て楽しいんだ!(笑)

「イタチ」といえば、ずっと前に、「いたちごっこ」のことを英語では「rat race」という、と聞いたことがあるのですが、それをふと思い出して「rat race」を辞書で引いてみました。
そうしたら、この「rat race」とは、「いたちごっこ」というよりは、「無意味な激しい競争。過当競争。生存競争。また、同僚間の栄進の競争」という意味だそうです。
何だか、イタチ曰く「万華鏡写輪眼の為に友と殺し合い…永遠の瞳力を得るために親兄弟で殺し合」ったという、うちは一族を連想してしまいましたよ。

ところで、日本語の「いたちごっこ」の意味は、「互いに同じようなことをいつまでも繰り返すだけで、決着がつかないこと」だということだとは皆さんご存知と思いますが、もっと遡ったもともとの意味は、「子供の遊戯の一。二人が「いたちごっこ、ねずみごっこ」と唱えながら、互いに相手の手の甲をつねって自分の手をその上にのせ、それを交互に繰り返す遊び」だそうですね。
私は、こっちの意味は全然知りませんでした。
こんな遊び、本当にやってたお方、おられますか?
少なくとも、私の周りでは、1人もいなかったんですが。

あと、前にも書きましたが、アニメ「NARUTO」シリーズの監督である伊達勇登(だて・はやと)氏の「伊達」という苗字って、「いたち」とも読めるんですよね。
それを見越してのネーミングだったとしたら、「イタチの最後っ屁ってやつだな…」へ落とし込むより、ある意味もっと遠大で壮大な計画だったな。(まあ、偶然でしょうけどね。)

次あたりで、この「真実を知る者」の感想記事も締められるかな(笑)。


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WJ20号『NARUTO』第397話「真実を知る者」の感想。(その6)〜「…○○○は生きている。信じる信じないはお前次第だ」。〜に進む



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WJ20号『NARUTO』第397話「真実を知る者」の感想。(その4)〜原点に戻って、「力」って何なのか?〜

『NARUTO』休載の今週も、脳内補完すべく、20号の感想を書きまくります!

ところで、今日スーパーマーケットへ行ったら、「マダラ」という店内放送が聞こえてびっくりしたのですが、言うまでもなく、魚の「真鱈(マダラ)」のことでした。
って、私のそんな身辺雑記はどうでもよろしい。

さて、マダラはサスケに、イタチのことを、「最後…お前のために己の瞳力をお前の中へ注ぎ込んだのだ」と言ってますけど……。

『NARUTO』ワールドでの「力」といえば、「瞳力」を含めて「戦闘力」のことですが、その「戦闘力」を正しく使うには、写輪眼を含む血継限界とか、他人の体を乗っ取ったりする術とかも重要なんでしょうが、もっと基本に帰ると、頭を使う「判断力」とか「洞察力」とかが不可欠ですよね。
イタチは、サスケに自分の瞳力を遺すに当たって、サスケの「判断力」とか「洞察力」とかのほうに不安はなかったのだろうか。
こっちの力は、他人から奪ったり譲られたりして得られるものじゃないですしね。

いや別に、サスケがアホだとか何だとか、そういうことではなく、サスケはずっと復讐のことで頭がいっぱいで、他のことについて考える余裕なんてなさそうだったけど、そういうことについては、イタチは何にも思わなかったのかな。

あー、もっともっと基本に帰ると、作品の序盤でカカシがナルト、サスケ、サクラの3人に厳しく言った「忍にとっていちばん大切なものはチームワークだ」というあの言葉に表れているように、「人と人とのつながりこそが最強の力」ってことでしたよね、この作品世界では。
(昨今流行りの「人間力」とはまた違う意味で(笑)。)

でも、こっちの「力」については、サスケは「判断力」とか「洞察力」とかについてよりもっと不安がありそうだ。
何せ、去年の7月のWJ34号(第363話「サスケの死…!!」)の扉絵はサスケのピンでしたが、その時のコピーは、

「友を捨てた。愛を捨てた。里を捨てた。残るはその名と、この思いだけ。」

でしたからねえ……(涙)。

マダラの「最後…お前のために己の瞳力をお前の中へ注ぎ込んだのだ」という台詞を読んで、「どうして『最後』である必要があったのかな」と思ったのですが、あれは「死闘の末、サスケ自身のチャクラがすっかり尽きたら、大蛇丸が出てくるはず。その大蛇丸を引きずり出して始末した後じゃないと、サスケに瞳力を与えても、サスケの本当の力にはならない」ってことだったのかな?

ただ、イタチがサスケに瞳力を遺したとしても、サスケは、「九尾に頼らず、自分の力で戦う」と決意したナルトとは違って、呪印の力だろうが白蛇の力だろうが、復讐のためなら、使えるものは何でも使う、って方針でここまで来てしまっていますからね。
何が本当の自分の力で何がそうでないのか、どれなら使ってよくてどれは駄目なのか、見極めることができなくなっているんじゃなかろうか。

ナルトはずっと、ナルトの「師匠キラー」なところにやられちゃった大人たちに囲まれて導かれて、危なっかしいながらもどうにか正しい道を歩んでいますが、サスケにはそういう大人はここ数年ついていないし、この先もしばらくいそうにないし……その辺は大丈夫なのか。
カカシから“千鳥”を教わった頃のことを思い出せサスケ!

イタチがサスケに力を遺したというエピソードにはジーンとなりましたが、一方で、サスケの「判断力や洞察力を磨く機会が少な過ぎた」「人間関係が貧し過ぎた」という意味では、どうなっていっちゃうんだイタチがサスケに遺したその力は!?という思いも湧いてきてしまいました。

(希望的観測をいえば、「イタチは、サスケに欠けているものが何なのかは全部承知の上で、ナルトに後を頼んで逝った」とかいう設定があったりしたら、当方も妄想する上で非常に助かるのですが(笑)。
ってか、それをいうなら、この感想記事全部が妄想だけどな。)



あと、イタチが本当にバイオロジカル的に死んでいるとしたら、その原因は「病」がメインで、あとは自らそれに追い討ちをかけるように「サスケとの死闘」を強行したからだ、と思うんですけど……。
イタチはサスケに、自分の本当の死因は何なのか、隠し通したかったのか、それともいずれは知って欲しかったのか、それも今のところわかりませんよね。
サスケには「兄貴のことはオレが殺したんだ、オレは復讐を成し遂げたんだ」と思ったままでいさせてやろうと思ったのか、それとも、「兄貴の死因はオレとの戦いじゃなかったんだ」とサスケがいずれは知ることができるような仕掛けを何かしら残したのか……(私は後者であって欲しいが)。
自分の死を覚悟していたのなら、その後にマダラがサスケに近づいて余計なことを言うであろうってことは、充分予想できただろうし……。


WJ19号で、マダラはゼツに、イタチとサスケの対決のことを「見てたならちゃんと撮ってあるんだろうな?」「後でじっくりと見せてもらう」と言ってましたが、「その映像を観たり音声を聴いたりして、マダラには初めて気づいたことがあって、『イタチの奴、こんなことしてやがったのかチクショー!』と慌てる」みたいな展開になったらいいのにな。
今のままでは、サスケはもとより、イタチまでがマダラの手のひらの上で踊らされていた、ってことでまとめられてしまいそうで、何だかそれは嫌だ。
まあマダラが何者なのかもまだわかりませんから、あんまり強いことは言えませんが。

それに、マダラについてイタチがサスケに語って聞かせた部分は、ハタからみれば「2人とも突っ立ったまま動かない」って状態だったしな。
マダラは、瞳術使いがその瞳術で特定の誰かに見せた映像をも、第三者として覗き見(笑)できたりするのかな?
それにこの場合は、録画録音されたものを視聴するわけですよね?
マダラって、人知を超えた存在なのかと思いきや、他人が用意してくれた資料映像や資料音声もチェックせずにはいられないあたり、妙に人間らしいな。
いや、人知を超えたように見える人ってのはみんな、他人には見えないところで、そういう地道でまめな努力をしてるってことなのか(って何だこの殊勝なまとめ方は(笑))。


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よき事の目にもあまるや2008。(その3)

今日(4月20日)は穀雨(こくう)&満月でした。
もう種蒔きのシーズンなんですね。

街なかの花壇やプランターのパンジーも、だんだん茎がひょろひょろ伸びてきて、そろそろ初夏の花にバトンタッチする(植え替えられる)頃なのかな?
これ↓も、植えられた頃に比べると、花の位置が地面からかなり高いところに上っています。
この写真ではわかりにくいですが、実物のほうはよく見ると、向日葵みたいに、光の射すほうへ一斉にひょっこり向いて咲いているのが、何だかおかしいのです。

紫の中の白。



これ↓は、紫陽花みたいにも見えますが、薄紫で小さめのパンジーです。
(そういえば、もう花屋さんの店頭には、紫陽花の鉢植えが置かれていた……。)

薄紫と白のパンジー。


白や黄色やピンクのパンジーもいいけど、紫色のパンジーがいちばん好きかなあ。
いちばん「パンジー」って感じがするし。
あ、「菫色」ってまさに「紫色の菫」の色のことですもんね。

「パンジー」という花の名前は、フランス語の「パンセ(物思い)」に由来していて、花の形や模様が物思う人の顔に似ているから、この名がついた、という話は有名ですけど、子供の頃にこの話を聞いた時は「どこが人の顔なんだ」と思ったものでした。
でも、それから幾星霜を経て、いつの間にか「ああ人の顔だなあ」と思うようになってました。
うーむ、古りゆくものは我が身なりけり。花ぞ昔の香に匂ひける。我が身ひとつの春にはあらねど。(←全部、他人の歌のパクリです(笑)。おまけに支離滅裂です(笑笑))




WJ20号『NARUTO』第397話「真実を知る者」の感想。(その3)〜原点に戻って、「人が人を認める」ということ。〜

「その2」でも書きましたが、私は、7号遡ったWJ13号の感想で、<ここでサスケがイタチを倒して、しばらく休養してチャクラを回復させて、仕切り直してすっきりして、マダラのところへ向かう、なんて、想像つかない>と書いていたんですが……。

そもそも、サスケがイタチに「アンタを殺した後は、アンタの協力者だった奴を殺す」みたいなことを言ってたのも、本気でその協力者を殺すつもりだったというよりは、「協力者がいたはずだということに、オレは気づいたぞ」ってことをイタチに知って欲しかったから、だったのかも……。
(今週号でマダラに「オレがそのうちはマダラだ」と名乗られても、驚いてはいますが、別に攻撃するような素振りも見せてないし、敵意すらあんまり感じられませんしね。)
そしてサスケは、イタチに「…ちゃんと気付いたか」と言われて、心のどこかで嬉しかったのかも……。

今週号で、サスケはマダラに「もう一度言う。お前は兄の事を知っているようで何も知らない」と言われて歯を「ギリ」と噛みしめていますが、12号遡ったWJ8号で、イタチからマダラのことを「オレの相棒であり師であり不滅の男」と聞かされた時も、「キッ」という顔をしていましたよね。
やっぱりサスケって、兄貴が他の誰かに関心を持っていることや、弟である自分より他の誰かが兄貴のことをよく知っているような物言いをすることが、今でも我慢できないんだ……。
マダラがイタチのことをあれこれ話すのを遮って、「うるせェ!! そんなことはもうどうだっていい!! オレの前から消えろ!!」と怒鳴りつけてますし。


話は飛びますが……。
NARUTO秘伝・闘の書―キャラクターオフィシャルデータBOOK (ジャンプ・コミックス)」にも書かれていましたが、原作第1部のいちばん大きなテーマは「人が人を認める」ということでしたよね。
第2部に入ってからは、いろいろと悲しいエピソードも多くなってきて、「人が人を認める」だけじゃ済まなくなってきた感もありますけど、それでも例えば、最近のアニメで、ナルトがサイに、サスケのことを、「あいつは…あいつは、誰よりもオレの事を認めてくれた1人だ」と言っているのを聴いて、「人が人を認める」というテーマを、改めて私は思い出しました。

そして、サスケにとっては、いちばん自分を認めて欲しい相手は、兄イタチだったんだろうな、とも思いました。

今のサスケが感じているであろう「いちばん自分を認めて欲しかった相手は、もういないんだ」「自分との対決の果てに、その相手は死んだんだ」という虚しさや喪失感は、これからどうなってしまうのか。
何があれば、誰だったら、満たしてやれるのか。

久しぶりにオフィシャルデータブックを引っくり返していてふと思ったのですが、ナルトにとってイルカは、「誰もが冷たい目で自分を見ていた中で、自分を初めて認めてくれた人」という意味で別格の存在ですけど、サスケの場合は、(一族皆殺しの後ではありましたが)サスケを認めてくれる人はいっぱいいたはずなのに、サスケの心には、兄を憎悪しつつも、「兄貴じゃなきゃ駄目なんだ」「他の誰かでは満たされないんだ」「他の誰かじゃ兄貴の代わりは務まらないんだ」という思いが消えなかったんでしょうね。
「その2」でも書きましたが、イタチに対するサスケの思ってやっぱり「恋」に近いものがあると思います。


何だかものすごく長くなりそうな気がしてきたこの「真実を知る者」の回の感想記事(笑)。


WJ20号『NARUTO』第397話「真実を知る者」の感想。(その2)〜「イタチ善人説」で救われるのは、誰?〜に戻る

WJ20号『NARUTO』第397話「真実を知る者」の感想。(その4)〜原点に戻って、「力」って何なのか?〜に進む



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