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WJ9号『NARUTO』第386話「新たな光…!!」の感想。(その1)
皆さん、3年前のこの号(9号)から、原作第2部が始まったってこと、ご記憶だったでしょうか? まさに光陰矢のごとし、英語でいうとTime flies.
(ちなみに、「光陰矢のごとし」を「Time flies like an arrow.」と直訳してはいけないそうです。 これだと、「時のハエたちは矢が好き」という、意味のわからないフレーズになってしまうとか(笑)。)
今週号を読んだ後は、仕事の合間合間に、頭に浮かんだネタをその都度メモっておきました。 こういうとき、デスクワークっていいですね。 これからも、クビにならない程度に、これを習慣にしていこうと思います。(コラーッ!!)
今週号は、自分が受けたインパクトが強烈だったせいか、駅とか電車の中とかで、WJを手に持って歩く人がやたら目に付きました。 JRのとある駅では、制服を着た駅員さんまでもがWJを持っていたように見えたので、「おお、今、休憩中なのか? それにしても堂々としてるな」と思ってよく見たら、それはWJではなくて、分厚い時刻表でした。 「人は皆思い込みの中で生きている」ってイタチ兄さん、アンタは正しい。
今週号のサブタイトルの「新たな光…!!」って、すごい希望に満ちた最終回のサブタイトルみたいですけど、中身はアレなんですよね……。 あと、扉絵のイタチがマニキュアをしていなかったことに「?」と思ったのですが、これ、まだうちはの者として里にいた頃を想定した絵だから、ですね。 服にも、うちはのマークが入ってますし(っていうか、普通はそっちを先に見るか(笑))。 私は最初てっきり、いつぞやのいのの耳のピアスのように、描き忘れられたのかと思ってしまったのですが(笑)。
さっさと感想部分に入らんか、と、自分でも思います、はい(笑)。
今週まず思ったのは、「『NARUTO』って、いつからこんな凝った作りの謎解き群像ドラマになったんだ!?」ということでした。 だって、去年の夏くらいから、ナルトのルーツといい、自来也とペインの戦いといい、うちは兄弟の対決といい、ナルトのいない場所でばかり、ものすごく劇的なエピソードが目白押しになってませんか?
主人公不在でもここまで一幕一幕が成立してしまうというのは、それだけ登場人物たちのキャラが立っている証拠だとは思うのですが……。 そうだとしても、作者視点のカメラがこうも何台もあると、誰が何をどこまで知っているのかを把握するのは、私にはもう無理です……(よろよろ)。
前の号の感想で私は、<『NARUTO』という作品には、かなり早い段階から、(中略)「九尾系の謎」(中略)と、(中略)「うちは系の謎」(中略)があるように思う>と書きましたが、はっきりそう思ったのは、うちは兄弟がリアルに再会したWJ1号の第380話「その面影…!!」を読んだ時です。 (イタチが玉座(?)でふんぞり返っていた回です。もう2ヶ月近く前なんだな。ちょっと意外。)
そしてまた、あの回を読んだ時は同時に、「このうちは兄弟の対決の中で、イタチがまた何かしら衝撃の新事実を明かすんだろうけど、私はそれを検証できるほどの基礎ができていないだろうな(コミックス全巻を精読していないから(爆))」とも思いました。
私の手元にある原作って、「うずまき大巻」の1から4までと、コミックス『NARUTO (巻ノ27)』以降だけなのですよ。 前にも書きましたが、その間の部分は、漫画喫茶で斜め読みしただけなのです。 手元にない部分は、コミックスの巻数に換算すると、11冊分くらいかな?
でももうこの際、腹を括って、この11冊分くらいのコミックスも、近日中に買って、家でじっくり読み直そうかと思っています。 だって、この状態が続いた末に『NARUTO』が完結して、その後で「あの部分、先にもっと精読しておけば良かったああ!」と思っても、もう後の祭りですし。 こんなにのめり込める面白い作品には、生涯あと何作出会えるかわからないし、それを思えば、11冊×410円=4510円くらい、どうってことはない(はずだ)! (実は今初めてリアルに金額を計算し、ちょっとだけ冷や汗が出た(笑)。)
ここ数週のうちは兄弟対決の部分がコミックスになる頃までには、ブランクを埋めて(=コミックスを買って精読して)、イタチやマダラを含め、うちは一族の謎についての感想だの考察だの妄想だのは、コミックス収録時に、その感想として書けたらいいかな。 その頃には、「万華鏡写輪眼を開眼する条件は、最も親しい友を殺すこと」とか「万華鏡写輪眼を開眼した者が3人揃ったらえらいことになる」(←うろ覚え)とかのことについても、もうちょっとは情報が頭に入っているはずだから。
(でももう、イタチについてかなり前に張られた伏線が、今週号で消化されてるみたいですね。 イタチがサスケに見せた「心の中のオレ」の一連のシーンの終わり近くにあるトーンのコマってあれ、けっこう前に描かれたものですもんね。)
さて、4ヶ月くらい前、私は今後の『NARUTO』に望むこととして、「これ以上、血縁ネタは増やさないでくれ」「誰かの血縁者を、重要人物として、ご新規で登場させないでくれ」というようなことを書いたのですが、そうか、「マダラの弟」ってのが出てきてしまったか……。
でも、4ヶ月くらい前、私は同時に、
<今まで『NARUTO』に出てきた後出しの血縁ネタの中で、重要なものって、「綱手は初代火影の孫だった」(中略)「四代目とナルトは親子だった」あたりだと思うのですが、これらの血縁ネタに「そんなご都合主義なー!」という印象がほとんどなかった理由は、「片方が既に故人だったから」&「生き残ってるほうが、ずっと前から登場していた人物だったから」だと思うのです。>
とも書いていたのです。
奇しくも、マダラは「ずっと前から登場していた人物」ですし、マダラの弟は「既に故人」の可能性が高そうですし、すごい、私の許容範囲にちゃんと収まってくれそうなパターンで、血縁ネタが出てきました、助かった! (ところで、マダラの弟の名前って何ていうんでしょうね。兄が「マダラ」だけに、弟は「ブチ」だとか……(まさか(笑))。)
イタチがサスケに言った「瞳のやりとりは一族間でしか行えない」というあの台詞、「カカシはとりあえず蚊帳の外」ってことを、言外に言っているんでしょうか。 (それも、サスケに対してというよりは、読者に対して、という感じがした(笑)。 「カカシファンの皆さん、心配するお気持ちはわかりますが、ここはとりあえず、このうちは兄弟対決に集中してください!」というような感じが(笑)。)
あと、イタチが「瞳のやりとりは一族間でしか行えない」に続けてわざわざ「それにこの方法で誰もが新しい力を手に出来るわけではない」と言ったあたりを聞くと、遺伝以外の理由(それこそ移植とか)で写輪眼を受け継いだ者は、カカシ以外にも、過去にいたのかも知れませんね。
もう何年も前のことになりますが、波の国編で、カカシは当時の3人の部下に、「オレのような特異体質の忍者が死んだら、その遺体は跡形もなく消し去られる」ってことを妙に力説していました(ように、私には見えた)が、あれって、かつて移植で写輪眼を受け継いだ者がいたことがあったから、って可能性もありますね。
(カカシ外伝について、「リンはあの極限状況で、よくあんな難しい手術ができたもんだ」というような感想はいろんなサイトで拝読しましたが、考えてみればオビトだって、あの極限状態でよくリンに「移植をしてくれ」なんて言葉が出てきたな、と思います。 「写輪眼移植」というのはもしかしたら、オビトの完全オリジナルのアイデアじゃなくて、そういう例が以前にもあったってことを、オビトは知っていたのかも。 もちろん、だからといって、あのエピソードの重みが薄れるとか、そういうことでは全然ないですよ?)
でもまあ(これも何回も書いていることですが)、イタチに関する情報や、イタチの言ったことって、所詮は「イタチ1人が言ったに過ぎないもの」がほとんどなんですよね。 それも、イタチがサスケだけに言ったものが多い。 だから、イタチがどんなに重要っぽいことや衝撃的なことを言っても、私から見ると「自称」とか「イタチ曰く」とかいう冠が取れないのですよ。 ここまで来てまだそんなことを言っていると、もうこの先の展開にはついていけない気が本気でしているんですが(笑)。
ラストのコマの、サスケの「やっと…たどり着いた」という台詞は、「イタチに距離的・物理的にたどり着いた」という意味よりは、「真相にたどり着いた」という意味なんでしょうね。 よく、「どんなにむごい事実でも、知らないよりは知ったほうがいい」といいますけど、ここで「やっと…たどり着いた」と言ったサスケの表情って、そういう雰囲気を感じさせました。 憎しみや怒りというよりは、落ち着いているというか、すべてのことが腑に落ちたというか、何だかどこか安堵の念さえ感じさせる表情だと思います。
「何か隠されている事実や真相がある」と当人が全然気づいていない時点では、誰かがわざわざ教えてやる必要はないんでしょうけど、当人が「自分に隠された、重要な秘密が何かしら絶対にある」と感づいてしまったら、それから先はもう、当人が気の済むまで真相を探ろうとし続けるのは、誰にも止められないんでしょうね。 サスケを見ていると、そう思いますよ。
それにしても、今更こんなことを言っても仕方ないんでしょうが、「うちは一族皆殺し」というあれだけの大事件があったのに、木ノ葉の里の上層部や大人たちは、それをちゃんと検証したのかな。 うちは一族皆殺しの件については、登場人物の誰もが「謎」とばかり言っていたようですけど、謎だ謎だばっかり言ってないで、里レベルでちゃんと調べて分析して、サスケのケアについても、もうちょっと心を配るべきだったよなあ。 「ある事件をタブー扱いして、そのタブーには一切触れない、知りたがっている子供にも教えない」ってあたり、現実世界でも起きていることなので、余計にやり切れないなあ、このあたりの経緯は。
サスケが里にいた頃、ナルトもサクラもカカシもサスケのことは、個人的なそれぞれの立場から精いっぱい愛したはずなんですけど、サスケにしてみれば、彼ら彼女らの気持ちを嬉しく思うことはあっても、「真相を知りたい」と切望する気持ちのほうに寄り添ってくれる人は、多分、1人もいなかったんでしょうね。
サスケは、6歳か7歳の頃から10年近く、「イタチが憎い」「イタチを殺してやる」「イタチに復讐する」の一念のみで突き動かされてきたつもりなんでしょうけど、その強い憎しみは、「真相を知っているのは兄イタチだけのはずだ。その兄に会って問い詰めて、真相が知りたい」という気持ちに裏打ちされていたはず。 その気持ちに寄り添って、真相究明のサポートをしてやれる者がいなかったのは、本当に悔やまれる……。
(私、ここしばらくの記事を振り返ってみたら、復讐者の心理分析ばっかりしているみたいなんですが、別に、私自身が誰かを殺すことと一族の復興を野望として掲げているわけではありませんので、ご心配なく(って誰もしてませんかそんな心配(笑))。)
イタチはマダラのことを、「今のマダラは負け犬だ…」と言ってますが、あのイタチの口から「負け犬」なんて言葉が出てきたことに、私は地味に驚きました。 (派手に驚いたのは、もちろん例のあの大コマ。) うーん、あの人知を超えたところにずっとい続けたようなイタチにも、勝った負けたなんて概念があったんだな。
卑近な例で恐縮ですが、今まで私が会ったことのある人たちのうち、勉強でもスポーツでもお稽古事でも、はたまた容姿でも、ぶっちぎりで優れている人って、他人と比べて勝った負けたって、却って考えていなかったような印象があるんですが。 「戦う相手は自分自身だ」「いちばんの敵は、自分の油断や慢心だ」みたいな感じで。
私はこの期に及んでまだ「イタチの言うことは真に受けるな、話半分が基本だぞ」って気持ちを拭い切れていないのですが、その中にあって、イタチがマダラについて語った時のあの「負け犬」って言葉には、妙にリアリティを感じました。
うーむ、今週分は1回でまとめ切れるかと思ったが、無理らしい。 九尾についてまだ書きたいことがあるんです。 ってなわけで、「その2」へ続きます。
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テーマ:NARUTO - ジャンル:アニメ・コミック
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